1990年、父が亡くなる1週間前のことです。亡くなったのが正月の3日でしたから、クリスマスが終わったくらいでしたね。父は2階に寝ていて、子どもたちを寄せつけていませんでした。そんなときに母が僕に「お父さんが呼んでいるわよ」と言うんです。なんだろうと思い、2階に上がっていきました。

そうしたら、「あの『寂』持ってきてくれる?」と資生堂時代に父が社長から初めて認められた作品のことを言う。もっていくと「どう思う?」と聞くので、正直に「だいぶ劣化しちゃったね、ちょっとひどいね」と言ったんです。そうしたら、

お前もそう思うなら直してくれよ。お前ならできるはずだから」。

これが、父の遺言となりました。

父・忠さんの作品「寂」の複製プリントを前に 撮影/齋藤浩

実は戦後のごたごたで、この作品のネガはなくなっていたんです。ネガさえあれば、ネガの修復技術はすでにできていたのでプリントできたんですが、どうにもならないですよね。

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複製ではなく生き返らせたい

そこから暗室での研究が始まった。「なぜ写真は劣化するのか」というところから考え始め、昔から愛用している専門書を紐解きながら、夜な夜な研究に明け暮れた。そして「修復はできている」レベルにまで至ったのが1997年。さらに技術を進化させて特許取得をしたのが2002年のことだった。10年あまりの年月をかけて開発したことになる。

父の働いている姿がかっこよくて大好きだったんです。だから、遺言を絶対に守ろうと思いました。それでも最初のうちはどこから手をつけたらいいか分からなかったり、なかなか成果が出なかったりして、「お母さん、ちょっと無理かもわからん」って弱音を吐いたことがありました。そうしたら母には「何言ってるの、お父さんが『お前ならできる』って言ったんじゃない。お父さんが写真のことで間違ったこと、一回も言ったことないでしょう」と言われました。そう言われたらやるしかない。

村林さんが愛用してきた専門書のひとつ。ボロボロになり、間に村林さんのメモ書きが。「これは父からもらったものです。左側のメモは父が書いたものですね」(村林さん) 撮影/齋藤浩

デジタルでよくいう「修復」とは、オリジナルをスキャニングし、Photoshopなどを利用して加工していく作業だ。つまりは複写をし、コンピューターの中で汚れをとったり、線をクリアにしたりしていく。しかし劣化によって消えてしまった線は復活しないので、「複製物」として、「あったであろう場所」に線が加えられていく。

村林さんのいうオリジナルプリントの「修復」は、万が一のためにオリジナルを複写撮影したのち、そのオリジナルのプリント本体を修復していく。裏にさっとかいた鉛筆書きもそのままで、紙もまったく同じものだ。まさに写真そのものが「生き返る」のである。

デジタルはもちろん素晴らしい技術で、僕もデジタル写真も撮っています。ただ、あくまでも複製物ですよね。その人の思いが込められているオリジナルを修復したいというのが父の希望だったし、僕の願いでもあった。銀塩写真の修復は、デジタル修復とはまったく別者なんです。