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いま、女子は「ていねいなくらし」を求めていることに気づいてますか

服はもうファッションではない?

オシャレをやめた女子たちは何にお金を使うのか

『CLASSY.』という20代女性向けのファッション誌が、最新号で「私たちは、なぜオシャレをするんだろう」という特集を組んだ。

電車の吊り広告でその見出しを見たとき、私は軽い衝撃を受けたとともに、やはり時代が確実に変わったことを改めて実感した。ファッション誌がこんなことを言い出すなんて。服はもうファッションではない。流行ではない。若い女性がオシャレをするのは自明のことではないのだ。

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女の子たちが、当たり前のように、オシャレに精を出していた時代は終わった。今、オシャレをするにはそれなりの理由が必要なのだ。だから『CLASSY.』は読者に問うている。「服が好きだから? モテたいから? それとも世間体?」そこには、流行だからという答えはない。

「春もカワイイ至上主義でいきましょう!」「この春、史上最高に上品な『新リッチ・ベージュ』登場!」「やっぱり春もパンツで女っぷり宣言!」

そもそもファッション誌とは何のためらいもなく最新の流行を届けるものではなかったか。それが、ファッション誌の使命であり、存在理由であったはずなのだ。

しかしながら、現在はファッション誌がわざわざ立ち止まって考えなければならない時代になってしまった。私たちはなぜオシャレするのか。何のために服を着るのか。もちろんそれは、ファッション誌だけの問題にとどまらない。

 

あのユニクロも2016年冬のキャンペーンで、すでに「私たちはなぜ服を着るのだろう。」と問題提起している。

その哲学的な問いかけの後には次のような文章が続く。「正解はひとつじゃない。生活をよくするための服をつくろうと、私たちは問い続ける。」問い続けた結果が、近年のユニクロが提案している「ライフウェア(LifeWear)」ということらしい。

今ほど、服を着ることの意味が問われている時代はないのである。理由は明白だ。21世紀に入ってから世の中にはいわゆるファストファッションが蔓延し始めた。

いつでも、どこでも、誰にでも――ファストフードになぞらえたファストファッション。安くて、品質もそこそこよくデザインにも気が配られている。機能性も十分だ。

しかも、それはネットで簡単に手に入るのだ。着ればそれなりにさまになる。申し分ない。もう、これ以上服に求めることはあるだろうか。こんな状況のなかでわざわざ労力を使ってオシャレするには、よほどの理由が必要になってくる。

さらに『毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代』(三浦展)『おしゃれはほどほどでいい』(野宮真貴)などという世間の風潮が、ますます積極的に流行を追い、オシャレをすることに歯止めをかける。

もちろん、ラグジュアリーなブランド消費などはもってのほかだ。すでにラグジュアリーな消費は終焉している。大枚をはたいてブランドバッグを買うなんて愚の骨頂である。

むしろファッションに時間やコストをかければかけるほど、オシャレからは遠ざかっていく。もう、オシャレに時間やコストを割く時代ではない。余った時間やお金を他のことに使う方がいい。では、何に使うのか。人々はかつて持っていた着ることに対するこだわりをどこに向けているのだろうか。