軍事オタクが見た「モスクワ」
ロシア連邦の首都、モスクワ。
面積2561平方キロメートル、人口1238万人を誇るロシア最大の都市である。
かつては東側陣営の総本山であったこの都市も、ソ連崩壊後には誰もが訪れられるようになり、今ではごく普通のヨーロッパの都市というたたずまいになっている――というのは表面上の話だ。
ソ連崩壊から四半世紀を経た現在でも、モスクワには様々な噂や都市伝説がつきまとう。しかも、その多くがどうも全くの「伝説」ではないらしいところがモスクワのモスクワたる所以であろう。
以下ではその一部をご紹介したい(より詳しくは拙著『徹底抗戦都市モスクワ 戦い続ける街を行く!』で取り上げている)。
伝説1:モスクワには秘密地下鉄が通っている?
2018年初頭現在、モスクワ・メトロは計12路線、総延長349.5キロメートル、駅数207という世界屈指の規模を誇っている。
1日の平均乗降数は約700万人(平日に限ると900万人)で、モスクワ市内の公共交通による乗客輸送数の約56%を担っているというから、まさに市民の足と言えるだろう。
だが、モスクワの地下には「もうひとつの地下鉄」が通っているのではないかとも言われている。
これはモスクワ市民の間で「メトロ-2(第2メトロ)」と通称されているもので、有事に備えた政府の緊急移動用地下鉄ではないかという噂だが、もちろん公式にその存在が確認されたことはない。
かといって、「メトロ-2」が全くの妄想の産物ということもなさそうだ。
たとえばソ連の独裁者として知られるスターリン書記長は、独ソ戦の直前、モスクワ郊外にある自分の別荘(ここにはスターリン専用の防空壕が建設されていた)からクレムリンまでの秘密地下通路を建設させ、ドイツ軍の目を逃れて市内を移動していたことが知られている。
このような秘密地下通路網が冷戦期のソ連でも建設されなかったと考える理由はないだろう。
かつてのソ連政府や現在のロシア政府の高官経験者達の中にも、「メトロ-2」が建設されたことを認める証言は少なくない。
それどころかモスクワ地下鉄公社のガーイェフ総裁は2007年、有力紙『イズヴェスチヤ』のインタビューに対して次のようにまで述べている。
「(メトロ2が)存在していなかったら、そっちのほうがびっくりだ」
では、「メトロ-2」の実態とはいかなるものなのだろうか。
ソ連末期の1991年に米国防総省が公表した報告書によると、「メトロ-2」はクレムリンを中心として3方向に伸びているとされる。
すなわち、モスクワ南東部のヴヌコヴォ空港(政府専用機の基地であり、政府高官専用のターミナルもある)に伸びる第一路線、モスクワ南方の参謀本部予備指揮所へと伸びる第二路線、そしてモスクワ北東部のクンツェヴォ(前述したスターリンの地下壕が掘られた場所で、その後もなんらかの秘密地下施設が存在したものとみられる)の三路線だ。
「メトロ-2」の謎を解明すべく独自の調査を繰り広げるブロガーたちの意見も大体一致しているようである。
ただ、「メトロ-2」が現在も稼働状態にあるのかどうかはいまいちはっきりしない。
もう長いこと使われていないとか、地下水で水浸しだとか様々な噂があるが、いずれにしても現在もフル稼働しているわけではないことはたしかそうだ。