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日本の中の外国「朝鮮大学」で生徒はどんな日常を送っていたのか

映画監督のヤン・ヨンヒさんに聞く

映画監督のヤンヨンヒさん初の小説『朝鮮大学校物語』が話題を集めている。「朝鮮大学」という、東京に実在するもうひとつの〈北朝鮮〉を舞台に描かれる、恋と挫折、そして本当の自由をめぐる物語だ。自身の経験をもとに描いたというこの小説の読みどころなどについて、著者ご本人にインタビューした。

「なんてとこに来ちゃったんだろう」

―ヤンさんの代表作『かぞくのくに』をはじめ、これまで映画監督として活動してきたヤンさんにとって、初めての小説です。

映画賞の授賞式会場で、編集者の方から「書いてみませんか」とお声がけいただいたのが、執筆のきっかけでした。いざ書き始めてみると、こりゃあ、えらいモンに手を出しちゃったなぁ、と(笑)。

たくさんの人を巻き込み、大騒ぎする映画の制作現場は、体力的にはしんどいけれど、ある種のお祭りみたいな熱気があります。それに比べて、たったひとりで小説を書き進める作業は、想像を絶するような孤独が待っていた。小説家が「先生」と呼ばれる理由がわかったような気がしました。

―物語の舞台は、東京都小平市に実在する朝鮮大学校。1983年、全寮制で日本語は使用禁止という環境のこの学校に、主人公のパク・ミヨンが入学するところから物語が始まります。

小説のテーマを何にするかは色々考えたのですが、朝大については、どういう教育が施されているのかはおろか、小平市にあるということさえ、多くの人は知らない。実際に卒業した私が、書き記しておくことに意味があるのではないかと、考えました。

小説とはいえ、ミヨンと私自身のプロフィールはほとんど重なっていますし、実体験がモデルになっている部分も少なくありません。私の家は、両親とも朝鮮総連の幹部で、3人の兄も北朝鮮に送っているくらいだったので、朝鮮高校を出たら朝大に行くか、そのまま総連に就職するかしか道がなかったのです。

―いざ、入学してみると、朝大は起床から消灯まで一日のスケジュールが細かく定められているうえ、平日は外出禁止。休日の外出時もジーンズや化粧は厳禁など、ルールに縛られた世界に、自由を求めるミヨンは悩み、反発します。

朝鮮高校はさほど厳しくない環境だったので、その延長くらいに考えていたものだから、私自身も入った当初は「なんてとこに来ちゃったんだろう」と毎日鬱々としていました。

 

とはいえ、朝大に進む子どもは、多かれ少なかれ祖国に対する不思議なノスタルジーを植え付けられています。日本生まれなのに、「祖国」「主席様」と聞くと、なぜかウルウルきてしまう。日本の一般の学校に通って差別されたような経験がないので、屈折がない代わりに、感傷的な口説き文句に弱いんです。

朝大の環境に疑問を抱いているミヨンでさえ、そうしたノスタルジーや忠誠心がまったくないわけではない。だから、「嫌だ」と思いながらも、卒業するまで4年間通い続けられたのです。

―3年生の秋、ミヨンは卒業旅行で北朝鮮に渡ります。徹底して行動を管理されるなか、手を尽くして、郊外で暮らす姉との面会を果たします。

私も、高校2年生と大学3年生のとき、修学旅行で北朝鮮に渡り、ピョンヤンで暮らす兄たちと会いました。「家族面会」というのですが、高校時代はホテルのロビーで30分くらい会わせてもらえるだけだった。だから、大学生でふたたび訪れたときは、毎晩のようにホテルを抜け出して兄たちの家に行き、朝まで語り合いました。

「俺は気にしない」と言われる悲しみ

―やがてミヨンは武蔵野美術大学に通う学生・黒木裕と出会い、初めての恋に落ちます。ふたりの瑞々しい日々の描写が、この作品に青春小説としての爽やかさを与えています。

朝大と武蔵美の敷地は、塀を境に隣接しているんです。休み時間に窓の外を眺めると、武蔵美の校舎の屋上で、ジーパン姿の学生がパンをかじりながら寝転んでいる姿が見える。「ああ、あっち側はなんて自由なんだ!」と思ったのをよく憶えています。まるで、東ベルリンと西ベルリンみたいだった。

通学のときも、同じバスに乗っているので、「彼らとの間に恋が生まれたら、いったいどうなるだろう?」ということはよく考えていました。

私もミヨンと一緒で、小学生以来、同年代の日本人男性と親しく話したことなんてありませんでした。「日本人とはわかり合えない、恋愛も結婚も、朝鮮人同士の方がうまくいく」と、親や先輩たちから、口酸っぱく言われ、そう信じて生きてきた。