「生命」とは何かを、最先端の研究の現場で考えていく好評連載「生命1.0への道」、前回は筆者の藤崎さんが「人工細胞のレシピ」を参考にしながら、30分で人工細胞膜をつくってしまいましたが、今回は「プロ」のお手並み拝見です。
「膜」をこよなく愛する科学者が、いま本気でつくろうとしている人工細胞。もしそれが完成すれば、なんと、あんなことや、こんなことまで、できてしまう――人間が「神」になってしまう日は、そう遠くはないのかもしれません。
第7回の最後でお願いしたアンケートには、4月18日現在で27件の回答をいただいている。
「キッチンで(生きた)人工細胞ができるとしたら」という問いに対して、「ぜひ、つくってみたい」と「暇があれば、やってみてもいい」が、それぞれ同率の44.4%だった。つまり9割近い方々が、人工細胞をつくることに興味を持っている。
一方で「つくっては、いけないと思う」が1人もいなかったのは、ちょっと意外だった。もしかしたら人工細胞が生命になりうるとは、まだ思われていないのかもしれない。「すでにつくった。私は神である」という回答は2件あったが、もし本当だとしたら、ぜひお話をうかがいたいものである。
「クックパッド」に人工細胞のつくりかたを掲載しようとした東京工業大学・地球生命研究所(ELSI)特任准教授の車兪澈(くるま・ゆうてつ)さんは、大きなくくりで言うと生化学者だ。一方で、よく自分のことを「膜屋」だと言っている。細胞膜の専門家という意味だろう。
前回キッチンでの作製に成功したベシクルも、細胞膜と同じリン脂質でできた袋状の膜だ。それをもとに人工細胞をつくっている車さんは、着ているTシャツに「No Vesicle, No Life(ベシクルなくして生命なし)」という標語を印刷している(写真1)。
これは膜こそが生命の出発点になったことを主張する標語だ(注1)。核酸のRNAが出発点だとする「RNAワールド」説や、タンパク質が先だとする「プロテイン(タンパク質)ワールド」説などに対して、「リピッド(脂質)ワールド」説の立場をとっているとも言える。批判してくる研究者には、「No Vesicle, No Life, No Doubt(ベシクルなくして生命なし、間違いなし)」というTシャツをプレゼントするのだという。車さんは「膜」をこよなく愛しているのだ。
注1)タワーレコード(CDショップ)のキャッチコピー「No Music, No Life」のもじりで、「膜なしの研究人生なんて考えられなかった」という意味も含めているという。
とはいえ、もともと生命の起源には、あまり関心がなかったらしい。「古い学問領域だし、時間軸的に後ろを向いた研究」だと感じていたせいだ。東京大学で学位をとってから2年間、ピエール・ルイージ(Pier Luigi Luisi)という生命の起源では世界的に有名な化学者の下でポスドク(博士研究員)をしていた間も、魅力を感じていたのは合成生物学という最新の手法だった。
ルイージさんはイタリアのローマ第3大学の教授で「再構築された生き物は、何もないところから生まれた生命と、ほぼ同じくらいシンプルなもので、同義ではないか」という考えを持っていた。当然、車さんに託された研究も「生き物の再構築」である。
ローマ第3大学は、バチカン市国から目と鼻の先にある。
車さんは「神様のすぐ隣で生き物をつくるというのが、だいぶイカレてるなと思いながらやっていた」という。たぶん、そういうところも楽しんでいたのだろう。実際、教皇庁の聖職者が研究室を視察に来ることもあった。しかし彼らも科学の動向に関心を持っているだけで、ルイージ教授の研究を批判する様子はなかったという。
ちなみに教授自身は熱心な仏教徒だ。何とあのダライ・ラマ14世とも親交があり、車さんも間近で会ったことがあるらしい。確かにイカレているというか、浮世離れした感じの世界ではある。
東大に戻ってきて、バイオテクノロジー関係の研究室にしばらくいた間も、あまり生命の起源は意識していなかった。しかし2013年に移ってきた現在の職場は、研究所全体が生命の起源にフォーカスしている。そこで自分が勉強してきたことや持っているノウハウなどを、どのように生かせるかを考えはじめて、ようやく本格的に関心を持ちはじめた。
学位をとる前も含めて、東大に在籍していた間はずっと「膜タンパク質」をつくる研究に従事していた。膜タンパク質とは、細胞膜や細胞小器官の膜などにくっついているタンパク質のことである。その役目についてはあとで触れることになるが、いずれにしても、膜タンパク質をつくるには当然「膜」が必要になる。そこからベシクルのような人工膜も研究するようになった。
一方で「オートポイエーシス」という生命現象に関する理論と出会った。この理論を提唱したのはウンベルト・マトゥラーナ(Humberto Maturana)とフランシスコ・バレーラ(Francisco Varela)というチリの生物学者なのだが、実は後者のバレーラさんがローマのルイージ教授と友達で、ダライ・ラマとの仲をとりもったのだという。
車さんによると、オートポイエーシスでは「まず大事なのは境界(膜)があることで、その中に自ら自分をつくるという代謝を持っているのが生物だ」としている。実際、現在の生物が行っている種々の代謝を必要最低限なものに絞っていくと、エネルギーやピルビン酸(脂質合成の材料)をつくる「解糖系」と膜の材料をつくる「脂質合成系」は必ず残るらしい(注2)。要するに生物は、新たな膜をつくって増えていくために生きているようなものなのだ。
「No Vesicle, No Life」という標語は、以上のような背景から生まれた。
注2)ヒトゲノムの解読で有名な分子生物学者クレイグ・ベンターは、マイコプラズマという非常に小さな細菌を使って、生命活動に必要な最小限のゲノム(遺伝子のセット)を作成しようとしている。2016年の発表では、もともとのマイコプラズマの遺伝子が985個だったものを、473個まで絞ることに成功した(人間は2万個以上)。
それらの遺伝子を機能別に分けると、半分近くは遺伝子の複製や発現に関わるものだが、残りの2割弱が脂質の合成に関わるもの、同じく2割弱が解糖系などの代謝に関わるものだった。機能のわからない遺伝子も2割近くあるが、それも多くは膜タンパク質に関係しているらしい。
さて前回はド素人がキッチンで人工細胞づくりに挑戦したが、今回はプロのお手並みを拝見していくことにしたい。まずはベシクルのつくりかたである。これにはふたつの方法がある。
ひとつめの「フィルム・ハイドレーション」は、原理的にキッチンでやったことと同じだ。まずリン脂質やオレイン酸(オリーブオイルの主成分)をクロロホルムのような有機溶剤に溶かしてから乾燥させる。するとシート状になった脂質が、容器の底に積み重なっていく。ちょうどミルフィーユのようになるらしい。
そこに水を垂らすと、シート状だった脂質が膨張しつつ、くるっとまるまって球体になる。これがベシクルだ。脂質の親水基は水分子とくっつこうとし、疎水基は離れようとする、その性質で機械的に丸くなるらしい(図1、動画1)。
できた膜の内側と外側には水があるから、リン脂質は「頭」のような親水基を水のある方へ向け、「足」のような疎水基を反対側に向けながら、二重に並んでいる。この「二重膜(注3)」が入れ子のようになった「多重膜」のベシクルができることもある。キッチンでつくるときのような、あまりコントロールされていない環境だと、そういうベシクルのほうが多いかもしれない。
注3)二重ではあるが、この単位で「単層膜」と呼ぶこともある。
当然だがベシクルの中に入っている水は、垂らした水と同じだ。したがって赤い水を取りこませてから周囲を無色の水で薄めれば、赤く染まったベシクルが見えてくる。あるいは水の中にDNAのようなものを混ぜておけば、それも「くるっと」なったときに取りこんでしまう。これは非常に便利な性質だ。
ベシクルができる「効率」という問題を抜きにすれば、このような現象はキッチンでも起きるわけだし、人間がまったく関与しない自然環境でも起きうる。
たとえば陸上の温泉地帯や干潟などに、脂質が溶けている水たまりのような窪みがあったとしよう。それが自然に干上がっていく過程で脂質は濃縮され、最終的にはミルフィーユ状となって底に溜まる。
あるとき、また温泉が噴きだしたり、雨が降ったり、潮が満ちてきたりして、窪みに水が溜まっていく。するとミルフィーユ状の脂質がベシクルになる。このとき、周囲にたまたま(!)RNAっぽいものが転がっていたら、それを取りこんで「RNA生物」誕生の引き金になったりするかもしれない。
そうそう簡単でもないだろうが、大雑把にはありうるシナリオだ。したがって車さんのような「膜屋」には、生命誕生の場を陸上だと考える人が多い。海中に乾いたり湿ったりする場所を見つけるのは困難だからだ。
しかし、もうひとつの「エマルション沈降法」だと少し話はちがってくる。これは2003年に発表された新しい方法で、ややテクニカルだが質のいいベシクルが効率よくできる。現在の研究現場では、ほとんどこの方法がとられている。
模式的に説明すると、まず容器に水を張っておく。そこに脂質の溶液を入れる。水と油だから当然、2種類の液体は分離して層をなし、脂質の溶液が水の上に乗っかる。このときの界面(水と脂質溶液との境界)では、脂質が親水基を水の方へ向けて、ずらりと並ぶ。つまり親水基が頭だとすると、疎水基の足を上に向けて逆立ちをしている状態だ。
この脂質溶液に改めて水をぽちょんと垂らす。すると球状の水滴が溶液の中に浮かんで、その周囲を脂質がぐるりと取り囲む。当然、親水基の頭を水滴にくっつけて、足の疎水基を外に向けた状態だ。放っておけば水滴は、界面のあたりまで沈んで止まる。そこに遠心力をかけて、ぐいっと下の水の層へ押しこんでやると、どうなるか?
界面で逆立ちをしていた脂質と、水滴を囲んでいた脂質が足をからませて、きれいな二重膜となる(図2)。ぽちょんと垂らす水に、あらかじめDNAなどを入れておけば、もちろんそれを含んだベシクルができる。非常に巧みな方法だ。
しかし「フィルム・ハイドレーション」とちがって、これが自然界で起きることは想定しにくい。あくまでも研究用のテクニックと思っていたほうがいいだろうが、もしかしたら熱水噴出域のような場所なら可能かもしれない。実際に「エマルション沈降法」でベシクルをつくるときには、「マイクロフルイディクス」という顕微鏡サイズの流路に水滴をつくって流すこともあるのだ。
そういう細い通り道は、熱水を吐きだすチムニーにも存在しうる。その途中に脂質の溜まった場所があって、そこを噴出の勢いを借りた水滴が通り抜ければ、ベシクルになるかもしれない。あくまでも想像だが、この形なら「乾いたり湿ったり」は必要ない。車さんも、その可能性は否定しなかった。