忘れられない「あるゲイの死」もしカミングアウトされたときは…?

一橋大学事件から何が変わったのか
砂川 秀樹 プロフィール

「Aさんは私だ」と思った

このように説明しても、それでもなお、このような話に関して窮屈に感じる人はいるだろう。

けれども、一人のゲイとして、そしてアウティングをきっかけとして亡くなったAさんのことを考えるとき、そのルールの必要性を感じざるを得ない。

もしかしたら、Aさんの事例はたった一例ではないかという人もいるかもしれない。

しかし、彼のことが明らかになったのは、彼自身がその経緯を記録していたからであり、それを知った親御さんが裁判を起こしたからだ。

その背後に、記録もせず誰にも相談せずに亡くなっていった人たちがいることだろう。

〔PHOTO〕iStock

そのようにアウティングを禁じるような言葉を窮屈に感じる人たちと、しかしそのようなルールの必要性を感じる人たちが、お互い合流できる解決方法は、おそらくひとつしかない。

それは、社会において、LGBTであることが(あるいは他のマイノリティ性を持っていることが)知られたとしても、不利益を被る可能性を低くしていくことである。

また、自身がカミングアウトしたいと思ったときに、大きなハードルを越えなくともできるような社会をつくっていくことである。そのためには、身の回りにおいてLGBTに関する嘲笑や侮蔑をなくしていくことも必要になる。

具体的にイメージするなら、例えば異性の結婚相手や恋人がいる人がそのことについて普段当たり前に話すように、同性のパートナーや恋人の話ができるような環境が広がること、生まれたときの体で割り当てられた性別とは異なる性別で生きる人は、その自分が生きる/生きたい性別で生きることを尊重されることが増えていく社会である。

もちろん、異性間で結婚の制度がある限り、私は同性間での結婚も認められることも、そのための土台をつくるために必要な、そして重要なことのひとつだと思う。

 

私は、Aさんの死について知ったとき、「Aさんは私だ」と思った。

私も同じ立場だったら同じような結果になっていたかもしれないと。

きっと、少なからぬLGBTが同じことを思っただろう。

もう同じことは起きては欲しくないと強く願う。彼は、自らも訴えることを考えていて、そのために書き残したという。

私自身は、その彼の思いを、社会に対する思いとして引き継いでいる。

そのために、生きていたならいつかどこかで会ったかもしれない彼のことを覚えておきたいし、彼のことも含めて、LGBTや他のマイノリティが追い詰められない社会に向けて言葉を発信していきたいと思う。