内閣支持率が3割を切っても、自民党で「安倍降ろし」が起きない理由

強さの構造を解き明かす
古谷 経衡 プロフィール

圧勝の理由は何か?

政治家にとって、自身の進退が懸かる国政選挙は、なによりも選挙結果が全てである。結果、彼らは派閥の別なく選挙で勝つ総理総裁、勝てる総理総裁になびいていく。

80年代以降、5年以上続いた政権は、いずれも国政選挙を「おおむね」勝利でくぐり抜けてきたが、第二次安倍政権だけは違う。現在まで5回の国政選挙の「全て」を圧勝で飾っているのである。

しかもその「勝利」の中身も、過去のどの政権とも違う。自民党の議席占有率(下図参照)をみれば、安倍政権下の「5戦5勝」がいかに凄まじいものか分かろう。

第二次安倍政権の選挙結果は圧倒的(筆者作成)
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どうりで党内からも「安倍降ろし」の声が顕著に出ないはずだ。しかし、「なぜ第二次安倍政権はこれほどまでに選挙に強いのか」という疑問は残る。以下、簡単に長期3政権の個別事例を確認し、第二次安倍政権との異同を比較してみたい。

 

(1)中曽根政権【1982~87年】

1980年代の中曽根政権時代、衆議院は中選挙区だったので現在との単純な比較はできないが、政権約5年のうち、4回の国政選挙で中曽根は3勝1敗している。

とりわけ83年の衆議院選挙は、1976年に田中角栄がロッキード疑獄で逮捕され、実刑判決が言い渡された事で自民党への逆風が目立った苦しい戦いであった。

元々中曽根内閣は「田中曽根内閣」と揶揄されるほど田中角栄の影響下で組閣した経緯があり、中曽根自体は生粋の憲法改正論者でタカ派だったが、内閣官房長官の後藤田正晴氏など、田中派の子飼いのリベラル議員が多く入閣していた。

それでも、中選挙区下、中曽根は戦後の自民党を支える地方選挙区の伝統的職能(農林水産、土建、各種団体)を基礎として堅実な勝利を重ねていった。これら伝統的職能は、場合によっては「利権団体」「圧力団体」などと言い換えられる場合もあるが、本稿では職能で統一する。

この時期、公明党は自民党と連立を組んでおらず、むしろ敵対関係にあった。公明党と自民党が連立合意して政権入りするのは1999年の小渕内閣以降(自自公連立→自公保連立)である。

70年代の安保反対運動隆盛と失敗により、80年代には全有権者の3割が無党派層になったと言われ、さらに続くリクルート事件や佐川急便事件など、政権与党による疑獄で「自民党不支持・政治的無関心」の層が形成された。

これらは主に大都市部の若年層、勤労者、中産階級からなったが、彼らは積極的に自民党に投票しない代わりに社会党などの対立候補に消極的に投票した。「無党派=非自民」の構造はこのときに定着した。またこの構図は、「地方=職能(自民)」vs.「無党派=大都市部(非自民)」の構造をも固着化させた。

中曽根政権はこのような中、地方に息づく伝統的な自民党支持の職能に支えられ、さらに86年の衆参同時選挙、いわゆる「死んだふり解散」の奇策を打つ事によって4戦3勝の長期政権を実現したのである。