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人工知能が人類から「思いもよらないもの」を奪ってしまう可能性

脳科学者が本気で伝える危機感
黒川 伊保子 プロフィール

人生の奇跡は、痛い思いの中にある

女というのは、999人の男に花束をもらって心を動かさなくても、たった一人の男のそれを、一生忘れられないくらいに喜ぶような生き物なのだ。確率なんて、まったく意味をなさない。

しかも、この花束トラウマ、もしかすると父親が原因かもしれない。小さい時、バレエの発表会で、他の子はパパから花束をもらっていたのに、自分はもらえなかったとか、姉は誕生日にバラの花束をもらったけど、彼女にはなかったとか。その心の傷に、成人してからの失恋の思い出に重なって、彼女の「花束嫌い」を生み出したのかも。

だとしたら、ここで父親が花束を贈ることは、人生の奇跡を生んだかもしれないのだ。父親が、彼女の「千人にひとり」だったビンゴ! 彼は、危険を冒さないことを選んで、人生の奇跡に出会うチャンスをひとつ逃してしまった。

そんな昔の心の傷は、人はことばにしないので、AIには気づきようがない。父親にしてみても、花束を贈らなかったことにさして理由がなければ(バレエの発表会に仕事先から駆け付けた、姉の誕生日はバラのシーズンだが、妹のそれは違ったとか)、記憶にさえない。人が記憶想起さえしないことに、AIは気づけない。AIで危険回避していたら、人生の奇跡には、けっして出会えないのである。

人生の奇跡は、痛い思いの傍にある。痛い思いを回避していては、ドラマは始まらない。千に一つの道を拓くために、男たちは、果敢に挑戦し続けなければならない。

 

人生は放っておけ

確率論は、「今季、バラを何本仕入れようか」という企業側の目論見には役に立つかもしれない。しかし、ひとりひとりの女性の気持ちは「やってみなければわからない」のである。

AIが寄り添うべきなのは、個人であって、全体じゃない。そんなAIは、人生のドラマは「安全」の中には起こらないことを知るべきだ。くだんのドラマのAIがすべきだったのは、確率をこざかしく語るのではなく、「彼女は、花束に悲しい思い出があるようです。でも、次の花束が、彼女の心の氷を解かすかもしれませんね」だったはず。

男たちに本当に必要なのは、人生のドラマを奪うAIじゃなくて、999の失敗に寄り添ってくれるAIなのじゃないかしら。

とはいいながら、人は、痛みのわからないやつに心の痛みを語ってほしくなんかない。最初は、こんなことを言ってくれる機械に少しは感動するかもしれないが、やがて「お前にはわからないだろう」という不快感が募ってくるはず。

執事AIは、ここを心得ておかないと、「思ったほど普及しない」ということになってしまう。少し前のユビキタスのように。

もちろん、生活者に寄り添う執事AIは、AI需要の一翼を担うだろう。特に高齢者の暮らしサポートは、高齢化社会の悲願でもある。そういう意味で、このプロモーションビデオの方向性は正しい。ただ、「花束問題」は、AIが踏み込んではいけない場所だと、私は思うのだ。

命は守らなければならない、暮らしは便利にしてほしい、しかし、人生は放っておけ

これは、私がAI開発の指針にしていることばである。