山本五十六の戦死に翻弄された、ある若者たちの運命

75年前の今日、搭乗機が撃墜さる
神立 尚紀 プロフィール

長官の死から50年経っても埋められなかった心の溝

戦後、不動産業を営んだ柳谷さんは、山本長官戦死から約50年後、日高義巳上飛曹の故郷・屋久島を、墓参のため訪ねた。屋久島にはもう一人、宇垣参謀長搭乗の一式陸攻二番機の主操縦員として奇跡的に生還した林浩さんが暮らしている。柳谷さんと林さんは、専攻機種こそちがうが、予科練の同期生である。柳谷さんはあらかじめ林さんに連絡をとり、宿泊先に一席設けて再会を楽しみにしていたが、待てど暮らせど林さんは現れなかったという。

海上に撃墜され、宇垣参謀長、北村艦隊主計長とともに救助されたときの林さんは、重傷を負い、朦朧とした意識のなかで、

「いますぐ私をラバウルに還してください! 明日もう一度出撃して、必ず仇をとります!」

と叫んでいたと伝えられる。

 

かつて近しい間柄だったとはいえ、林さんは、撃墜された陸攻の搭乗員として、護衛を果たせなかった戦闘機に対し、わだかまりを抱いていたのかもしれない。林さんは平成18(2006)年、柳谷さんは平成20(2008)年に、相次いでこの世を去った。

ラバウルでは、いまも伝説的ヒーローとしてその名を語り継がれる山本五十六。いまや日本人の多くが戦争を知らない世代であるのと同じく、ラバウルの人たちもほとんどは戦争を知らない。現代を生きる現地の人たちにとって、「ヤマモト」の名は、パプアニューギニアでも映画を通じて人気だという「ニンジャ」と同様、デフォルメをともない、「強きもの」の代名詞になっているのかもしれない。

しかし、敵に暗号を解読されていたとはいえ、杜撰な巡視計画による最高指揮官の不注意な最期は、護衛にあたった若者たちに、生きては還れないほどの重荷を負わせ、予科練の「同期の桜」どうしにさえ、半世紀経っても埋められない心の溝をつくった。

そのことを、泉下の山本はどう感じるのだろうか。そして、その後もエリートコースから外れることなく栄達を続け、戦後は「死人に口なし」とばかりに、責任を現場に被せたまま天寿を全うした参謀は……。

 
『零戦 搭乗員たちが見つめた太平洋戦争』神立尚紀/大島隆之(講談社文庫)
 
『証言 零戦 大空で戦った最後のサムライたち』神立尚紀(講談社+α文庫)