働かせるが定住はダメ…政府が「技能実習の延長版」創設へと動く狙い

労働力不足への焦りが国を歪ませる
望月 優大 プロフィール

政府は「移民」という言葉を避けている

最後に改めて問題を整理する。

自動車工場、居酒屋、農家、介護施設。日本の様々な産業で「人手が足りなくなっている」のは事実だろう。少子高齢化が進むこの国で、人口全体に対する生産労働人口の割合は減っていく趨勢にある。

政府が女性や高齢者に「活躍」を促しているのも、外国人労働力の受け入れ拡大の議論がなされているのも、基本的にはこの一つの同じ文脈の上でのことだ。

労働力調査の「就業者数」と前出厚労省調査の「外国人労働者数」を単純比較してみると、後者が増えるにしたがって「全就業者に占める外国人労働者の割合」も年々増加し、今や2%に迫る状態だということがわかる。

 

現在政府が進めているとみられるアイデア、それは、日本の人口が減少していく中で、「単身で・いつか帰る・外国人労働力」の受け入れをなし崩し的に加速していくというものである。

しかし、あくまで彼らは「労働者」という位置付けで、政府は「移民」という言葉を意識的に使わないようにしている。

社会が誰かを「人間」として扱うということは、働く存在としてだけでなく、結婚し、家族をもち、子どもを育て、学校に行き、具合が悪ければ病院に行き、老いれば年金を受給する、そうした全生活的な存在としてその人を受け止めるということである。

日本に生まれた日本国籍保有者は誰であれ皆そのような存在として扱われる(ことになっている)。

〔PHOTO〕iStock

では、外国人はどうなのか。

一部の外国人について、この国はそのコストを支払わずに済ます道を探ろうとしているように見える。しかも、「彼らの力が必要だ」と認識している、まさにその時にである。

外国人も人間だ。「2級市民」のような扱いをすることは、彼らがいつか母国に帰るとしても、日本になんらかの経緯で定住するとしても、いずれにしても良い方策だとは思えない。

人手が足りないのはわかった。それは前提条件である。

しかし、だからと言って何でもありではないこともまた自明ではないか。

都合の良い労働者ではなく、一人一人の人間について考える――そういう移民政策が、今こそ必要ではないだろうか。