# 大相撲 # 宗教 # メディア・マスコミ

相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由

伝統的神事と近代スポーツの二面性
岡本 亮輔 プロフィール

地元の人々が山頂の本堂などの一部をのぞいて禁制を解除するための援助を奈良県知事に陳情したのだ。

きっかけは同年の国立公園指定である。1200年の伝統か国立公園か――つまり伝統か近代かという対立であった。

終戦後の1956年、大峰山は再び女人禁制で揺れる。

そもそも大峰山は禁制を解除せよというGHQからの指令も拒否していたが、東京都千代田区神田の「登山とスキー普及会」が、8月22日、地元青年団の案内で女性2名を含むパーティーで山上ヶ岳登頂を目指したのである。

宗教伝統対スポーツという図式がはっきりと表れている。普及会の動きに対して、天川村の観光協会員約100名が山上ヶ岳へつながる道3ヵ所にピケを張る騒ぎとなった。

1997年にも再び女人禁制を解くかどうかが話題になった。西暦2000年をきっかけに、禁制を解除してはどうかという声が上がるようになったのだ。

高齢化などで信徒も減少し、このままでは山の維持も難しくなるといった意見が一部の信徒や僧侶からも出たが、結局は解除には至らなかった。

その後、1999年に日教組系の女性教員のグループが山上ヶ岳に登頂した。神聖さを理由とした女人禁制は性差別であるという主張に基づく行動であった。

さらに2000年代に入ると、大峯山寺や大峯奥駈道が世界文化遺産に登録され、1936年の国立公園指定時と同じように、人類普遍の遺産に女性が立ち入れないのを問題視する声が上がっている。

 

近代の中で再発見される伝統

近代化の進展と共に前近代的な禁制が解除されるという流れがある一方、近代化が進んだからこそ禁制が再発見されるプロセスもある。

例えば1980年、東北三大祭りの1つとして知られる秋田竿燈まつりをめぐり、女人禁制の復活論が出た。

竿燈会会長の「祭りの日に雨が降るのは、女性が派手な服装で祭りに参加するようになって天が怒ったからだ」という発言がきっかけだ。ほとんど言いがかりのような内容である。

これに対しては、民俗学者・桜井徳太郎が、マンネリ化した祭りに変化をつけるために突然言い出したのではないかと批判している。

秋田市が郷土芸能の保存育成を名目に補助金を出していることもあり、女性参加は認められたが、翌年からは女人禁制にすべきという意見も強かったという。

近年の例としては、2000年に世界遺産登録された沖縄県南城市の斎場御嶽(せーふぁうたき)がある。

御嶽とは、琉球の信仰において特別な儀礼や祭祀を行う聖域のことだ。中でも斎場御嶽は琉球の最高聖地とされ、最高位の聖職者・聞得大君(きこえおおきみ)によって管理された場所である。

とはいえ、世界遺産登録前は、斎場御嶽は忘れられた聖地であった。現在のように厳格に管理されることもなく、地元の人もそれほど近寄らなかったようだ。だが世界遺産という近代的な制度に登録されることで、斎場御嶽をめぐる歴史や伝統が再発見されたのである。

(参考)斎場御嶽の関連記事(「聖地」と「世界遺産」が好きすぎるニッポン人): http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47872

このプロセスについては人類学者・門田岳久氏が明らかにしている(詳しくは門田岳久『巡礼ツーリズムの民族誌―消費される宗教経験』を参照)。簡単にいえば、世界遺産にふさわしい歴史や伝統だけが強調され、それ以外は排除されたのである。

門田によれば、世界遺産登録に際して、斎場御嶽の宗教性や精神性は強調されたが、それは琉球王家に関わるような公的なものに限られ、民間霊能者が細々と続けてきたような信仰実践は無視されたのである。

近代化が進むからこそ前近代的なものが際立ち、ある種のアピール力を持つ。

斎場御嶽については、2013年、南城市が男子禁制を検討していることが報じられた。世界遺産登録によって観光客が急増し、マナー違反が目立つようになったのが理由だという。

そして琉球王国時代に斎場御嶽が男子禁制だったのでそれを復活させるということだが、マナー違反は男女にかかわらず見られるものであり、強引な主張だと言わざるをえない。

男子禁制が持ち出されたのは、そうした掟や伝統を持ち出すことで、斎場御嶽の特別さを演出する効果があるためだろう。近代化が進んだからこそ、前近代的なものがインパクトを持つようになったのである。