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相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由

伝統的神事と近代スポーツの二面性
大相撲をきっかけに、「女人禁制」がふたたび問題になっている。禁制は少しずつ解禁されてきた一方、その発見・強化が起きていることをご存知だろうか。宗教学・観光社会学を専門とする北海道大学准教授・岡本亮輔氏が現象を読み解く。

あれもこれもかつては女人禁制だった

今月、舞鶴市長の救命のために土俵に上がった女性に対し、行司が女人禁制を理由に土俵から下りるよう促したことが批判されている。

相撲協会の一連の不祥事とも結びつけられ、角界の体質の古さを象徴する出来事として語られている。

女人禁制は日本の大相撲に限らない。

各国の軍隊も、ウィーン・フィルハーモニーも、英国の社交クラブも、フランスの最高等教育機関グランゼコールも、米国のロータリークラブも、スイスの山岳クラブもかつては女人禁制だった。

これらの禁制の多くは時代の流れに合わせて解消されてきた。近代化がもたらした真っ当な帰結である。

他方で、土俵の上の女人禁制は近代社会の中に残された反近代的な因習と切って捨ててしま得るかというとそうではない。

もちろん、今回のような人命に関わる場で女人禁制を持ち出すことは、あまりに冷静さを欠いている。

だが、相撲に限らず、近代化が進んだがゆえに前近代的なものが強化されるプロセスがあることは踏まえておいてもよいだろう。

 

「宗教伝統かスポーツか」という対立軸

かつて日本の多くの山は女人禁制とされた。山の神は女神であり、女性が入山すると嫉妬して山が荒れるといった語りが各地に見られる。

真言宗総本山である高野山は、明治維新以降、徐々に女人禁制が解除された。

禁制解除が始まった140年前の1878年には、空前の参詣者数を記録した。同年4月20日だけで3万円の賽銭があったという。現在の感覚で言えば、1日で数億円が集まったというところだろうか。

1899年には、山内での女性の宿泊の解禁を求める動きも出ている。そして1906年、弘法大師開山以来、1100年を経て女人禁制に関わる掟が全廃された。理由は、女人禁制が世の風潮と合わないからである。

高野山〔PHOTO〕iStock

同年には、日光の男体山の女人禁制も解かれた。華厳の滝周辺には、滝壺が見えるように道が作られ、ガイド料を払えば、東照宮をはじめ、要所を見逃さないツアーも作られた。山の女人禁制解除は観光化とも重なっていたのである。

1916年には、長野県の松本女子師範学校の生徒約10名が八ヶ岳に登ったことが画期的な出来事として報じられている。生徒たちは山中で4日間過ごしたが、横岳の難所もクリアし、1人の脱落者もなく下山した。

一行と共に登った登山家・伊藤長七は、今後、女子には生け花や茶の湯よりも登山が必要であり、女人禁制のような迷信はなくすべきだとしている。

女人禁制の山を語る上で外せないのが奈良県の大峰山だ。古来、修験道の山とされ、熊野へと至る大峯奥駈道が存在する。山全体が神聖視され、今でも女人禁制が敷かれている。

しかし、実は1936年には、大峰山の女人禁制を解除しようという運動が生じている。