キログラムの定義が変わる、そのとき何が起こるのか?

単位と科学の深い関係
臼田 孝 プロフィール

単位の定義が変わる、そのとき何が起こるのか?

新しい定義への移行は2019年5月20日に一斉に行われ、130年にわたる国際キログラム原器による質量標準に終止符が打たれます。

それでは、定義改定の瞬間、何が変わるのでしょうか。

はっきり申し上げましょう。

「何も変わりません」

補足をすれば、何にも影響しないよう、慎重に定義を変えるので、皆さんは気づかないのです。定義が変わった瞬間、体重が変わったり、平熱の体温が変わったりしたら、大変です。そのようなことは一切ありませんし、もちろん今使っているはかりや温度計が、定義改定を境に使えなくなることもありません。

定義改定を境に、今使っているはかりや温度計が使えなくなることはない photo by iStock

誰にも気づかれず、一般生活に全く影響のない、このような研究に各国が取り組む意義はどこにあるのでしょう。

定義改定には膨大な資源と努力が投入されています。科学雑誌『ネイチャー』では2012年、キログラムの定義改定を、重力波の検出などと並んで最も困難な5つの科学実験のひとつとして挙げています。それだけ難しいのです。

自分が定義改定に取り組まなくても、新しい定義でいずれ国際度量衡局などを通じて同様な基準が手に入るのです。わざわざ苦労する意味はどこにあるでしょう。

 

単位とは科学そのもの

18世紀のメートルを決定するための測量、19世紀の国際原器を製作するための冶金技術、20世紀の長さの定義改定のための電磁波速度測定、などなど、測る基準である単位の見直しにはその時々の、最高の技術が投入されました。単位の基準以上の精度では測定できないのですから、その努力は並大抵のものではありません。

しかし、単位の見直しに伴う測定精度の向上は新たな科学をもたらします。ノーベル賞の対象となったような革新的、基礎的な発見も、単位の見直しに大いに寄与してきました。そうです、定義の改定に結びつくような究極の測定は、人類に新たな知見をもたらす、科学そのものなのです。

単位の名称を思い出してください。アンペア、ボルト、オーム、ニュートン、ワット……。それぞれ科学の発展に寄与した、偉大な科学者、技術者たちです。これらの科学者が活躍した国々は、例外なく科学大国です。計測技術は、基礎科学力の表れであるといえるでしょう。同時にそのような国々は、単位という人類の共有財産に対して責任を負っているともいえるでしょう。

今回の単位改定には、明治のメートル条約加盟以来初めて、日本が非常に大きな貢献をしています。日本もそのような責任の一端を担うようになったのです。単位や実験装置に科学者の名前が残されたのは、その責任に対する敬意の表れでもあります。もしかしたら将来、質量の基準を実現する画期的な装置にタナカ・バランスとか、オノ・バランスという日本人の名前がついているかもしれません。そう思うと、なんだか楽しみになりませんか?

アンペア、ボルト、オーム……もしかしたら日本人名の質量基準を実現する装置があらわれる?! photo by iStock

単位は世界共通の言語である

人類は社会生活を営み始めた当初から、測る基準、すなわち共通の単位を求めてきました。18世紀のフランスでメートル法の原型が生まれ、国際単位系として今日に至りました。私たちは国際単位系という、いわば世界共通の言語をもって対話することが可能となりました。

では地球だけでなく、もし遠く離れた星の住人と情報を交換することになったら、あなたは自分をどう紹介しますか?

光の速さはどうやら全宇宙共通のようなので、身長は光が進む時間で紹介できますね。でもその星の人たちは別の原子時計を使っているかもしれません。原子時計どうしの換算(振動数比)が必要ですね。

体温はどうでしょう。絶対零度は宇宙の果てでも同じですから、水の状態と関係づけて、説明できそうですが、その星には水がないかもしれません。灼熱の星では鉛が溶ける温度を基準にしているかもしれません。

こうして考えると、これまでの単位の定義はたまたま手にした特定のものを基準にしていたことが良くわかります。私たちは目に見える(長さ)、手に取れる(質量)、触れられる(温度)を基準に単位を定めてきました。いわばのぞき穴から見た世界だけで単位を定めてきたといえるでしょう。

量子論的世界観を持つに至った私たちにとって、単位の定義を変えるのは当然というべきでしょう。宇宙を貫く法則に従った定義こそ、真の「すべての時代にすべての人々に」といえるでしょう。

そして単位は定義を実験室の中で実現しただけでは終わりません。それを常に維持し、必要とする人に届けなければ意味がありません。そのような責務は、人類が豊かな社会を維持する限り、まさに「すべての時代に」必要とされるはずです。

本書を読むことで普段何気なく接しているキログラム、メートル、℃、といった単位への興味を深めて頂ければ幸いです。そして、何十桁にも及ぶ計測値の裏で展開されている、メトロロジスト(計量学者)の挑戦をともに味わって頂ければ幸いです。

宇宙を貫く法則に従った定義こそ、真の「すべての時代にすべての人々に」といえるだろう photo by iStock

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1889年のメートル条約決議以来、世界中のあらゆる「重さ」の基準であった「国際キログラム原器」がその役目を終えようとしています。なぜ新しい定義が必要なのか? 単位を決めるとはどういうことなのか? 数億分の1をめぐる計測の世界で展開されるメトロロジスト(計量学者)の挑戦を追えば、そこには「単位」と「科学」の深い関係が見えてきます。

定価:1000円(税別)

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