なぜ親による子どもの虐待死の量刑は、かくも軽いのか

推協賞受賞作家の「怒り」と「願い」
吉田 大助, 薬丸 岳 プロフィール

小説だからこそ近づける真実

罪の重さと、罰の軽さ——。そのテーマを象徴する題材は既に、デビュー作の時点で採り上げられていた。1988年から1989年にかけて足立区綾瀬で起きた、女子高生コンクリート詰め殺人事件で少年法に興味を持った著者は、光市の母子殺害事件に着想を得た『天使のナイフ』で、2005年に江戸川乱歩賞を受賞する。

「酷い罪を犯したならば、少年であっても大人と同等に裁かれるべきだと僕自身は今も思っています」

ところが、その感情が出発点にはなったが、その感情を押し進めるだけでは、小説は動き出さなかった。

 

「僕は子供がいないんですが、被害者や被害者の家族、そして関係者の立場に感情移入することは、無理なくできました。もしも自分が当事者であれば、犯人達を八つ裂きにしたい、と……。でも、それは本名の薬丸岳(たけし)の価値観に過ぎません。

作家の薬丸岳(がく)としては、加害者の側に立って心情を想像してみたり、あるいは少年法の擁護派の意見もきちんと自分の中に入れたうえでなければ、わざわざ小説を書く意味はないなと思ったんです。この社会における少年法の是非を探るためには、自分には到底受け入れられないような視点も含めた、多方向からこの問題を考えなければいけない。そうしなければ、多くの人に読んで考えてもらえたりする作品にはならないんじゃないか、と」

デビュー作で手にした直感は、その後の礎となった。

デビュー作『天使のナイフ』にはじまり、薬丸岳の小説はひとつの信念をもって描かれている。唯一のシリーズでもある夏目シリーズはその最たるものだ 撮影/村田克己

陰惨な事件をただ消費してはならない

「普通に暮らしているだけで、陰惨な事件のニュースは毎日、耳目に届きます。それに対して“酷い事件が起きちゃったね”と。“3歳の子供に回し蹴りしたら死んでしまうのは分かり切ったことなのに、バカだね”と。そう言っている何万人のうちの1人は、数年後に同じことをしているんですよ。それは何故なんだろうと考えると、やはり想像力の欠如だと思うんです。

被害者や、その家族や周囲の人々がどれだけ苦しい思いをしているのか。加害者や、その家族や周囲の人々が事件の後、どんな大変な思いをしているのか。陰惨な事件を非日常の刺激として消費するだけで、事件に関わる人々の心情をリアルに想像しようとしないことが、同じような事件がやまない理由のひとつなんじゃないか。

もしもリアルに感じることができていたならば、もしかしたら自分が犯罪に向かいそうになった時に、引き返せる可能性があるかもしれないじゃないですか。事件の記憶を思い出して、思い留まることができるのかもしれない。その一助に、フィクションがなり得ると僕は信じているんです」

個々の事件の関係者に取材し、事実を元に真相に肉薄することは、ノンフィクションの仕事だ。小説というフィクションの作り手がなすべきことは、エンターテインメントの衣をまとった物語世界にのめり込ませたうえで、ノンフィクションでは掬い取れない種類の「声」を書き留め、読者と出合わせることだと言う。

「ノンフィクションの場合、本人が口を開かなければ、あるいは取材ができなければ、その人物の声を記録することはできません。口を開いたとしても、その言葉の奥にある、心の声のようなものを推理して書くこともできない。でも、小説ならばできるんです。事実だけでは満たすことができない、想像力の隙間を、少しだけ埋められるんじゃないかなと思うんですよ」

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