全国に急拡大する「子ども食堂」に、いま圧倒的に足りないもの

「子どもの貧困対策法」成立から5年
大西 連 プロフィール

いま、圧倒的に「処方箋」が足りない

今まで述べてきたように、「子ども食堂」は、子どもの貧困対策でもあり、地域の拠点づくり、コミュニティづくりという側面もある。

そもそもが、「○○が子ども食堂である」という定義が明確にあるものでもないし、何らかの認可や免許があるものでもないわけで、それぞれが自分たちなりの「子ども食堂」をおこなっているに過ぎない。

しかし、ここ数年のあいだに2200ヵ所まで拡大したことは、逆説的に言うと、子どもの貧困への関心や地域のなかでの居場所づくりの必要性について、多くの人が関心を持ち、何かしたいとアクションを起こしたことの証明でもある。

子ども食堂は、ある種の「絆創膏」である。傷ついている人がいたら、誰しもがすぐさま自分ができることで手当てをする、したいと思うのと同じだ。

しかし、それはあくまで緊急時の手当であり、医師や看護師などの医療従事者ではない「ふつうの人」ができる範囲の手当だ。傷によっては救急車を呼ぶだろうし、病院につれていくだろうし、専門機関につないで、治療につなげる必要がある。

「子どもの貧困」にも「地域づくり」にも、いま圧倒的に「処方箋」が足りない。

そのことを意識することが必要だし、「絆創膏」の手当をしながら、「処方箋」の必要性につなげていく視点は今後より求められていくだろう。

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「子どもの貧困」は自己責任論をこえられるか

子ども食堂の活動がこれだけ拡がった背景としては、「子どもの貧困」が自己責任論から免れやすい、問われづらい、ということが背景にあると思われる。

ある意味、大人の貧困に関しては、本人の努力や選択の範疇として語られてしまいがちであるが(それに対して僕は批判的であるが)、子どもの貧困に関しては、生まれる家庭を選べないので、「自己責任論」を振りかざす人にとっても、受け入れやすいのかもしれない。

もちろん、子どもは基本的に単独で存在するものではないので、子どもの貧困は家庭の貧困、親の貧困とみなすことも可能である、そのため、受け入れてもらいやすい言い方、理解を得られやすい言説として、「子ども」を(意図的に)前面にだしていくのはありだろう。

社会の理解や共感が高まらなければ問題の解決にはいたらない、「処方箋」の必要性を訴えていくまでには届かない、のは間違いない。

 

しかし、一方で、もやいスタッフの結城翼氏が指摘していることだが、「子どもの貧困」は自己責任ではないという言説は、ある意味で自己責任論をベースにしている以上、さまざまな施策が結果的に整っていったとしても、むしろ、社会のなかでの「貧困」に対する「自己責任論」を強化するリスクを持つ、と言えるだろう。

「自己責任論」と正面からぶつかることを回避した方法は、「自己責任論」を突破すること、崩していることにつながらないのではないか、と考える。短期的には成果が出る言説でも、長い目で見た時に効果的かどうかについては注意深くあるべきだ。

粘り強く、しつこく、「絆創膏」から「処方箋」へという視点を考えていかなければならないだろう。