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日本初の女性シンガー・ソングライターが辿ってきた「数奇な半生」

世界の近現代史と密接にリンク
中川 右介 プロフィール

ポピュラー音楽の歴史

視点を変えて「音楽の歴史」というものを考えてみたい。

さまざまな音楽ジャンルのなかで、詩に曲をつけた「歌曲」の誕生は、18世紀、モーツァルトの時代あたりから始まる。音楽の歴史の中では新しいほうなのだ。

もちろん「歌」はどの国にも大昔からある。あくまで、詩があってそれにプロの作曲家が曲つけた「歌」の歴史が浅いということだ。

最初期の「歌」はオペラの一節を独立させた歌が多かったが、19世紀になると、ドイツではロマン派の時代となり、そのロマン派詩人たち(ケーテ、シラーなど)の詩に曲をつけることが流行する。

その代表がシューベルト(1797~1828)で、31歳という短い生涯でありながら、600曲近い歌曲を書いた。

シューベルトによって、歌曲の歴史が本格的に始まったと言っていい。

余談になるが、日本ポピュラー音楽史におけるひとつの革命である「日本語でのロック」の担い手である松本隆が、シューベルトの歌曲の訳詞に取り組んでいるのは、興味深い。

2人は、作詞と作曲と立場は異なるが、ともに新しい「歌」のジャンルを確立した点で共通するのだ。

『運命の歌のジグソーパズル』には加藤登紀子が歌ってきた曲が何十と登場するが、そのなかで最も古いのが1867年の『さくらんぼの実る頃』(ジャン=バティスト・クレマン作詞、アントワーヌ・ルナール作曲)だ。

シューベルトが歌曲を大量に作り出してから半世紀が過ぎた時期にあたる。

楽譜出版がビジネスとして成立するのは18世紀後半からなので、その頃でもある。

音楽は「楽譜」として売られるようになり、そのための「新曲」が求められ、作曲家の収入源となった。

最初に求められた曲は、裕福な家庭で自分で演奏できるピアノ曲や室内楽曲が多かった。

やがて「歌曲」の新作が求められるようになり、作詞家という職業が生まれた。

同時に音楽はクラシック音楽からポピュラー音楽が分離し、発展していく。

『さくらんぼの実る頃』はそのポピュラー音楽黎明期の歌と言える。

この曲をレパートリーとするわけだから、加藤登紀子が歌う曲を時代順に並べていくと、そのままポピュラー音楽の歴史と重なる。

体系的にはなっていないが、『運命の歌のジグソーパズル』を読んでいくと、ポピュラー音楽史の名場面に立ち会っているかのように感じる。

 

なぜ彼女は本を書いたのか

『運命の歌のジグソーパズル』は、加藤登紀子の父・幸四郎氏が満州へ行くところから物語が始まり、以後、時系列に沿って進む。

その過程で、彼女が出会った歌にまつわるエピソードが、まさに「登紀子節」で語られる。独特のリズムの文体はスウィング感がある。

そのスウィングに乗って、本に流れる時間は「過去」から、「大過去」へとさかのぼり、「過去」に戻り、いつの間にか現在になっている。

場所も日本だけではなく、パリやロシアや満州やチェコやフィリピン、ベトナム、ニューヨークと世界各地へ、瞬時に移動する。

ひとつのエピソードから別のエピソードへと飛んでいくが、常に「今の日本」へ帰ってくる。

そこに、この本を2018年に書いたことの意味があるようだ。

単なる回顧録でも歌の紹介でもないのだ。

2018年を起点として過去、大過去へと移動していくのだが、なかでも重要なのが、50年前の「1968」である。

前述のように世界各地で同時多発的に学生叛乱の年となった1968年は、加藤登紀子にとっての出会いと転機にあたる。

だが、それだけではない。

1968年の50年前(今年からだと100年前)の1918年は、世界で3つの帝国が崩壊へと向かった年だった。ロシア革命は1917年2月に始まり、11月でひとつの決着を得るが、ソビエト体制になるまではさらに何年もかかるので、1918年はまだ革命の混乱期にあたるし、1918年11月にはドイツで帝政が倒れ、オスマン・トルコ帝国の革命も始まる。

さらにその50年前、つまり150年前はとなると、偶然にも明治維新の年だ。しかし、これは徳川と薩摩・長州の内戦のようなものだから、革命でもないし自由を求めての戦いでもない。むしろ自由を求める民衆の歴史としては、3年遅れるが1871年のパリ・コミューンのほうが重要だ。

数年を誤差とすれば、150年前にパリ・コミューン、100年前にロシア革命、50年前に「1968年革命」と、50年おきに世界は革命の時代を迎えてきたのだ。

それなのに、いまの国際情勢をみると、国家主義的勢力、政治家が力を得ている。

彼らの言動は、まるでこの150年間の歴史を否定し葬り去ろうとしているかのようだ。
だからこそ、自由を求める人々の歴史を再確認したい。

そんな思いで企画しているコンサートをするので、歌とその合間のMCでは語りきれないものを本にしたい――多分、そういう思いがある。