# 音楽 # エンタメ

日本初の女性シンガー・ソングライターが辿ってきた「数奇な半生」

世界の近現代史と密接にリンク
中川 右介 プロフィール

歴史のおさらいをすれば、この年は世界各地で若い世代が政治・社会体制の変革と自由を求めて蜂起した年だった。

アメリカではベトナム反戦運動と公民権運動が盛り上がり、そのさなかにキング牧師、ロバート・ケネディが暗殺された。フランスでは5月革命があり、ソ連の支配下にあった社会主義国チェコスロバキアは政権が自ら自由化路線へ転換したがソ連が武力で弾圧した。

日本でも学生運動が最高潮を迎え、東大では卒業式をボイコットする学生たちがいた。東大生歌手としてデビューしていた加藤登紀子は、当初の予定では卒業式に出て、マスコミを呼んで記念撮影するはずだったが、当日になって、卒業式をボイコットして安田講堂前に座り込む学生の列に加わった。

 

そして後に夫になる学生運動のリーダー藤本敏夫と知り合う。

日本初の女性シンガー・ソングライターに

同時に、音楽面でも加藤登紀子に変化が訪れた。

1969年、自ら作詞作曲した『ひとり寝の子守唄』をレコーディングしたのだ。

周囲は反対した。というより、理解できなかった。

いまでこそ女性のシンガー・ソングライターは山ほどいるが、当時の日本には存在しない。女性の作詞家も、岩谷時子、安井かずみくらいしかいない。作曲家となると、多分、プロではひとりもいない。

半世紀前の日本音楽界は、そういう時代だった。

それなのに、女性歌手が自ら作詞作曲し、レコードにするなんて、業界人には想定外の出来事だったのだ。

そう――加藤登紀子は日本で最初の女性シンガー・ソングライターである。

そして50年が過ぎようとしているいまもなお現役で、新曲を出し、コンサートをしている。

したがって、加藤登紀子のシンガー・ソングライターとしての人生はそのまま日本ポピュラー音楽史と重なる。

だが、1970年前後にデビューし、いまもなお現役のシンガー・ソングライターというだけなら、他にもいるだろう。

加藤登紀子が際立つのは、日本だけでなく、世界ポピュラー音楽史をも体現している点にある。

近現代史とのリンク

加藤登紀子のレパートリーには、自作の曲と、外国の歌を日本語に自ら訳して歌うものと、2つの柱がある。

『百万本のバラ』が後者のその代表だ。この歌は1980年代のソ連で大ヒットした曲で、それを加藤登紀子は自ら訳詞して歌っている。

あるいは、宮崎駿監督の『紅の豚』の劇中で歌われた『さくらんぼの実る頃』は、1867年に作られ、1871年のパリ・コミューン敗北後に流行した曲だ。

生き方を含めて影響を受けたエディット・ピアフの『愛の讃歌』、マレーネ・ディートリヒが歌って有名になった『リリー・マルレーン』も、加藤登紀子は自分で訳して、自分の歌としてから、歌う。

そして今年のコンサートのタイトルにもなっているのが、ビート・シガーの『花はどこへ行った』で、これも自ら訳したものをコンサートで披露することになっている。

その他、多くの外国の曲を加藤登紀子は日本語にして歌う。

そしてその曲の大半が、世界の近代史・現代史と密接に関係している。

新刊『運命の歌のジグソーパズル』は、これまでに歌ってきた歌と出会い、その歌が誕生した背景が綴られている。

そこに登場する出来事、エピソードを抽出して年表を作ったのだが、そうしたら、1871年のパリ・コミューン以後の現代史がほぼ網羅されていた。

この本の副題は「TOKIKO'S HISTORY SINCE 1943」(1943は加藤登紀子の生年)だが、この本で描かれるのは1871年のパリ・コミューン以後の150年近い歴史なのだ。