大阪出身の私はよく、阪神ファンだと勘違いされる…〔PHOTO〕iStock

テレビで大人気の「県民性」どこまで真実味があるのか

大阪でさえ一筋縄ではいかないのに
テレビや本などで見かけることが多い「県民性」。自分の出身地域や住んでいる土地にかんする情報はついつい気になってしまうもの。でも、県民性って本当にあるのだろうか。民俗学者・畑中章宏氏が考察する。

住んでいる地域で行動は異なるか

日本列島の諸地域に住む人々の性格や気質、特徴的な行動様式、行動規範を、「県民性」によって語ることは、日常会話のみならず、メディアなどでもしばしば行なわれている。

衣食住にかんする傾向や金銭感覚なども、統計的・科学的な裏付けから、県民の個性や特徴だとされることが少なくない。

たとえば、大阪の人は「がめつい、しぶちん、功利的、活動的、ユーモアに富む」、群馬県人「義理人情に厚い、気性が荒い、カカア天下」、山口県人は「団結心が強い、派閥的、郷土愛が強い」、熊本県人は「質実剛健、強情、きまじめ」などといわれる(祖父江孝男『県民性――文化人類学的考察』より)。

こうした県民性は歴史や風土、地形や気候、人口、産業、宗派など、さまざまな要因をもとに育まれてきたものだと考えられている。しかし、当然のことながら、県民性という言葉が、県の成立以前にさかのぼることはない。

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明治維新の廃藩置県によって、「藩」に代わって「県」が置かれたのが1871年(明治4年)で、現在の47都道府県がほぼ定められたのは、1890年のころである。つまり県民性を育むにも、たかだか130年しか経っていないのだ。

古代中世の「国」や近世の「藩」ではなく、近代国家の地方支配の単位を基準に、住民の性格が形作られるものだろうか。

方言や食文化のような地域性は、「県」より、「藩」から理解した方が肯けることが多いともいわれる。日本の地域区分について、その錯綜する歴史から考えていきたい。

 

“藩”のアイデンティティ

廃藩置県が行われるまで、地方政治は藩が支配し、藩領は多くの場合、現在の県よりも細かく分かれていた。明治維新後も存続した諸藩主は、1869年(明治2年)土地(版)と人民(籍)に対する支配権を朝廷に返還した。

これが「版籍奉還」である。

1871年、藩に替わって県を置かれ、3府302県に日本の国土は区画された。それまでの幕藩時代に藩主だった知藩事は、全員が失職して華族となり、役目を終えた。県には明治政府が任命した官僚が知県事(のちの県令。1886年より知事)として派遣された。

地域の新しい行政区分である県は、1871年末まで統廃合が行われ、3府72県に減少。ほぼ現在の47に固まるのは、先述したように1890年のことである。

薩摩藩がほぼ全域を支配していた鹿児島県や、土佐藩が支配していた高知県などは、現在でも独自の気風が色濃く残っているといわれる。

一方で、津軽藩と南部藩に二分されていた青森県は、県域の東西で文化や気風も全く異なるとされる。

また、長野県や千葉県、埼玉県は、中小の藩やその飛び地が分立し、幕府直轄領・旗本領・寺社領が細かく入り組んでいたため、明確な県民性が見出しにくいという見方もある。