これだけ労働時間を短くしても、日本人の疲れがとれない根本的原因

我々は、やっぱり無理をして生きている
梶本 修身 プロフィール

ここで重要なのは、疲労の度合いは「時間×負荷」という計算式によって決まるということです。

労働時間が長いということは、それだけ自律神経を長時間酷使するということですから、疲労の大きさと密接に関係していることは言うまでもありません。

たとえ肉体的には大きな負荷がかからないデスクワークだとしても、むしろ肉体労働より長時間、緊張と集中を強いられることが多いでしょう。パソコンに張り付いて長時間同じ姿勢を続けるのは、それだけで大きなストレスとなります。このような状態でも身体のバランスを保つために、自律神経が常に心拍や呼吸を微調整し続けているのです。

 

バブル期には見逃されていた「過労死」

「疲れの大きさが時間×負荷で決まるとすると、たしかに負荷は増しているかもしれないが、労働時間は昔のサラリーマンのほうが長かった。それでも昔は過労死なんてなかったじゃないか」

こんな意見もあるかもしれません。

たとえばバブル時代にも、やはり日本人は長時間働いていました。「24時間戦えますか」と尻を叩かれていた時代です。昔のサラリーマンが皆、今のサラリーマンよりも体力において優れていたとも思えません。

正確な統計は残っていませんが、おそらく昔も現在と同様、多くの人が過労で亡くなっていたのだと思います。ブラック企業も、むしろ昔のほうが多かったのではないでしょうか。当時は世間がそれを「過労が原因である」と考えなかっただけです。

こう考えるのには理由があります。私が医師になったばかりの1990年代中頃には、死亡診断書に書く死因で圧倒的に多かったのが「急性心不全」でした。死因が特定できない場合は、とりあえず心不全と書いていたのです。

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たとえ毎日長時間の残業を強いられ、職場で倒れてそのまま息を引き取ったというケースでさえ、直接業務でケガをしたなどの要因がなければ、すべて心不全で処理されるのが実態でした。「過労死」という言葉が広がったのは、労働環境や福利厚生への注目が高まった2000年前後のことです。

その意味では、現在国が進める「働き方改革」で、残業を抑制しようとする方針は間違っていません。現実に、日本人の労働時間は既にアメリカ人より少なくなっているともいわれます。

しかしそれでも、「疲れている」と訴える人は減るどころか、増えている。それは一体なぜでしょうか? この「国民総疲労社会」ともいうべき状況を、打破する方策はあるのでしょうか?

この記事をここまで読んでくださっている読者は、日頃から「疲れやすい」「疲れが取れない」といった悩みを抱えているかもしれません。ですが、周りを見てみると、疲れ知らずで徹夜仕事をこなす同僚もいる。何が違うんだろう…と思っている人も多いのではないでしょうか。

ストレスフルな環境で暮らしていても、疲れを強く感じてしまう人と、あまり感じない人がいるのは事実です。それには体質の違いもありますが、それ以上に「うまく疲れを取り除く方法を知っているかどうか」も関係してきます。

次回は、「疲れと個人差」という深い問題についてお話ししましょう。

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