LGBT、引きこもり…大江健三郎が60年前から描いた「青年の闇」

いま、氏の作品を読むべき理由
尾崎 真理子, 山口 和人 プロフィール

大江作品の予言性

尾崎 もう一作、「偽証の時」もこれまでほとんどどこにも収録されないままだった小説です。これは実際に東大にニセ学生事件が発生したことに想を得たともいわれています。そのニセ学生がどんなに激しいリンチを受けて、痛めつけられて、その結果、警察に突き出されたかということなんですが、それをずっと眺めていた女子学生の視点から書かれていて、すごい作品だと思いました。

その女子学生の捉え方も対等というか、フラットというか、しかも、左右同等といいますか、あらゆる視点からその事件が捉えられていて、それだけ理知的な女子学生なんです。

もしこれがちゃんと世に出ていたならば、恐らくその後の連合赤軍に至る日本の学生運動は相当変わったのではないか。つまり、引いて眺める。自分たちが何をやろうとしているのかというのを客観的に眺める視点を与えてくれたんじゃないかと思うぐらいです。

 

山口 「偽証の時」は学生運動の先鋭的な部分、言ってみれば、浅間山荘事件を先取りしたような内容です。「偽証の時」の内容が進んでいくと絶対殺し合いが起きるだろうというふうに読めるし、実際殺そうとするんですね。

大江作品では、結果として未来を読み取ってしまうということが起こる。小説家は予言者ではもちろんないんですが、その時代や対象に全身全霊コミットして作品を書いていると、何年かしてそのことが実際に世の中で起こっているという不思議なことがある。

尾崎 最近ではオウム真理教事件、『燃えあがる緑の木』ですね。

山口 そうでした。さらに『洪水はわが魂に及び』。最後の籠城の部分を書いているときに実際に浅間山荘事件が起こってしまって、「困ったな」と思って、書き直したらしいです。

女性に縁がなかった…?

山口 今おっしゃった女子学生という意味でも、さっきの『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』もそうですけれども、大江さんは女性的なるものの力を、晩年になればなるほど押し出しているような気します。

大江健三郎氏

尾崎 女性を弱いものとか美しいものと最初から捉えていない。力を秘めた恐ろしい存在であるという感じですね。学生運動の爪跡は、それをどうすればよかったのかという疑問はいろんな作品の中にあって、例えば「茱萸の木の教え・序」という中篇は永田洋子さんのことを思わせるところもありますね。そういう闘う女性は、『水死』のウナイコさんまで真っすぐにつながった一つのモデルというか、理想形があるように思うのです。

一方で、『懐かしい年への手紙』に出てくるオユーサンという配偶者の存在があります。倒れそうな主人公をしっかり支える。古義人のときは千樫に名を変えますが、パートナーと常に対等で、時に批判的であり、かつ智慧の源泉のようなところがある。

山口 大江健三郎という作家は、作品の中で女性をロマンチシズムの対象としてないですね。例えば吉行淳之介さんとかそういう作家と違って、女性を男性の目から見た恋愛や性愛の対象としていない。

僕は、大江さんが描く女性はすごくフェアに描かれていると思うんです。さっきロマンチシズムの対象になっていないと言いましたけど、今のフェミニズム的な視点を先取りしていた。

尾崎 それで思い出したんですけど、1993~1994年ぐらいに、江藤淳さんに「美男の文学というのがあるんだ」ということを言われたんです。美男が書く小説はどこかで逃げがあって、主人公が女性のところに行って、なぐさめて受け止めてもらって、決定的にぶざまなことには絶対ならない。それで言うと、大江さんほど自分を卑下して語ってみせる人っていないですね。自分はモテたことがないということを常に言われます。

山口 自分がいかに女性に縁がなかったかと必ずおっしゃる。

尾崎 大江さんも、最初に学生時代に文学賞を受賞されたころから顔が知られ、本当にひきこもりになったと書いていらしたりしますけれども、やっぱりスターだったんですね。

山口 東大で学生デビューして、インテリで、実はかなりモテたんじゃないかと思います。一方、四国の山奥から出てきたばかりのときは、日本語が通じなかったと言っています(笑)。東京大学仏文科の教授が「きみ、日本の食事は口に合いますか」と訊いたという。台湾の留学生だと思われていたらしくて。

尾崎 それに対して曖昧にほほえんでいるしかなかったみたいで(笑)。

山口 気が弱かったのかな。でも当時の写真を見ると、トレンチコートを着て、髪が風にたなびいて、実に颯爽と見える。