LGBT、引きこもり…大江健三郎が60年前から描いた「青年の闇」

いま、氏の作品を読むべき理由
尾崎 真理子, 山口 和人 プロフィール

怒られたことはありますか

山口 それは印象的な瞬間ですね。ところで尾崎さんは大江さんに怒られたことはありますか。

尾崎 すごくあります。私は首の皮一枚でつながっているという時期も何度かあったと思います。

山口 きっと何かなさったんでしょうね(笑)。

尾崎 読売新聞で毎週土曜日に、舟越桂さんのカラーの挿絵で『二百年の子供』という連載を担当して、(大江さんから指摘をいただいた)直しを一ヵ所入れ忘れたんです。本当にうっかりして。そのときは、もう口をきいてもらえないんじゃないかなという感じがありました。でも、ふだんは本当に気取らない、優しい方ですね。

山口 ご自宅には25年間、多いときは毎月のようにお訪ねしているんですが、サービス精神がものすごく旺盛で、しかも稀代のストーリーテラーですね。とにかく来た人を楽しませようとして自分の経験した面白い話や興味深い話を次々に繰り出して、一~二時間するとぐったりお疲れになるくらい。本当に楽しい方です。

 

私は大きく言って2回ぐらい怒られたことがあります。大江さんは長江古義人が主人公の後期の作品で、他人の小説の引用をして終わらせるということがありました。アフリカの作家のショインカとか……。

僕はあるときこれを言っても大丈夫かなと思いながら「たまには自分の言葉で終わらせてください」と言ってしまったんですね。大江さんは本当にムッとされて、「小説というものは人の言葉を借りてきてつくるものだ」と。でも、実際そうなんです。小説というものは過去の言葉に新しい命を吹き込むことですから。それは今となってはよくわかります。

尾崎 敬して遠ざけられるのはお嫌なんだと思いますが、やっぱり編集者の方々も死屍累々で、私たちはよく25年も生き残ってきたなという感じです。

山口 気がつくと、周りの人がみんな討ち死にしていて、戦場で一人立っていたような(笑)。

この話は御自身がエッセイに書いていらっしゃいますが、大江さんは絶交魔なんです。誰かと仲たがいすると、夜、ハガキを書いて、近くのポストに入れに行って、ああ、さっぱりしたみたいな気分になられる。でも、そのあと結構仲直りしたりする。

尾崎 よくファックスが届きませんでしたか。

山口 はい、大江さんはメールをなさらないんです。現在83歳で、おそらくキーボードに触れたことがないのではないでしょうか。やりとりはファックスです。

大江さんの字は特徴的で、その字がA4の紙にガーッと書いてあって、「私はそういう意見ではありません」みたいなファックスが、朝、机の上に置いてあることがあります。毎朝毎朝、会社の机に行くとき、今日は肯定的なご返信のファックスならいいなと思いながら出社する(笑)。

尾崎 夜中にそういう思い余ってのファックスが届いて、夜勤の人間が私のところに連絡してきたこともありました。

山口 はい、自分のところでも一時連絡網が敷かれていました(笑)

尾崎 私はその内容からどうやったら謝れるだろうと思って、朝までに手紙を書いて、成城のポストに入れに行くんです。自宅がわりと近くなものですから。

山口 本局ですね。

尾崎 いえいえ、ご自宅のポストに入れに行くんです(笑)。それで生き延びてきたのかもしれません。

山口 実は全く同じ経験があるんです。居ても立ってもいられずご自宅のポストに投函してとりあえずホッとする。

もしも新海誠が映画化したら…

尾崎 今、日本で活躍されている作家の多くは、中村文則さん、平野啓一郎さん、阿部和重さんとか、小野正嗣さん、さらに伊坂幸太郎さん……、本当によく大江作品を読んでいらっしゃいますね。

山口 本当にそうですね。

尾崎 敬愛されている作家だと思うんです。つまり、大江さんを読むとそこから栄養を得られることを彼らは本能的に知っている。何十冊、いろんな人をばらばらに読むよりも、大江健三郎という人を真剣に読むことがいかに大事かということを、本当にプロはよく知っていると思いますね。

さっき言ったような、四国から出てきた20歳過ぎの青白い青年が、二十代、三十代、四十代、五十代、六十代、七十代、そして八十代まで、ボブ・ディランじゃないですけども、一作ごとにどんどん自分をつくり変えていく。背後には時代がある。時代との絶妙な距離感。こんなに長い間、自分を真剣に作品の中に込めてきた作家は、世界レベルでも何人もいないと思います。

山口 1957年のデビューですからキャリア60年強。人でいえばちょうど還暦です。偉大なアーティストほど自分をどんどん作り変えますね。大江さんの場合、初期の作品を経て、障害者である光さんが生まれたときに小説家として自分をつくりかえた。

例えばビートルズもどんどん変わっている。ボブ・ディランも、フォークギターをエレキギターに持ち替えたときに非難ごうごうだったとか、あるいはマイルス・デイヴィス、ピカソなんか典型ですね。才能ある表現者は自分をつくりかえつつ多様な表現をする。

尾崎 しかも古くなっていくどころか、その年代ごとに、時を隔てて思わぬ循環で輝きを増す部分が常にあるという感じがしますね。『芽むしり仔撃ち』も、今若い人が読むと、セカイ系というか、近未来SF的にも読める部分がありますね。

これをもし例えば新海誠さんのような人がアニメーションにしたらどうなるんだろう。みずみずしさが衰えていないので、ぜひ原作にしてもらいたいと願いたくなる。そういう文学のアダプテーション、つくりかえ、再生という可能性がすごくある古典になっていく作品ばかりだと思います。

山口 『芽むしり仔撃ち』は少年少女が主人公で、確かにちょっとエヴァンゲリオン的な、近未来的な世界観ですね。

尾崎 今、ライトノベルもそうですけれども、長大で、人物関係がすごく錯綜して、同じ主人公が別の作家にも共有されているというような状況には、むしろ今の若い人たちは慣れている。そういう世界すら先取りしているという言い方は、私はできるようにも思うぐらいです。

山口 確かに登場人物に変わった名前を付けるとか、ライトノベルにまで遠いエコーを感じますね。ところで大江作品を読むに当たっては、詩の引用の大切さということは避けては通れません。ダンテ、ブレイク、イェーツ、エリオットなどの海外文学を自分の中に取り込んで、その新しい多様な磁場の中で作品を作ってゆく。

尾崎 ダンテの「神曲」と結び合わされている『懐かしい年への手紙』あたりから、その傾向はどんどん強まっていくわけですけれども、その前の、ウィリアム・ブレイクの予言詩と絡み合っている『新しい人よ眼ざめよ』は、全く何の知識がなく、もし高校生、大学生が読んでも、その一冊だけで感動できるいい作品だと思います。詩の引用に関して言えば、私たちはこれまで、大江作品は重厚で難解だと思い過ぎているような気がするんですよ。