防衛省が日報を隠蔽してまで秘密にしておきたい「不都合な真実」

隊員の自殺の真相も書かれているのでは
半田 滋 プロフィール

政治家への「深い不信感」

小野寺防衛相は「大きな問題であり、大変遺憾だ」と述べ、また南スーダンPKOとイラクの2つの日報を隠された稲田前防衛相は「非常に驚きと同時に怒りを禁じ得ません」と述べ、ともに陸上自衛隊を批判した。

一義的には陸上自衛隊に問題があるのは言うまでもない。しかし、政治家は自衛隊に無茶な要求をしてこなかっただろうか。

政治家の冷淡ぶりは、イラク派遣の前から隊員たちを悩ませてきた。イラク特別措置法は2003年7月に成立したにもかかわらず、10月に衆院選挙を控え、イラク派遣を争点にしたくない首相官邸は準備指示を出さず、防衛庁(当時・現防衛省)は立ち往生した。

 

準備指示とは、海外派遣の際、自衛隊最高指揮官である首相が発する「命令」に当たる。明文化された規定ではないが、首相によるシビリアンコントロールを確保する上から、それまでの海外派遣では例外なく出されてきた。

同年10月17日、当時の福田康夫官房長官から「防衛庁でできることをやればいい」と突き放され、自衛隊はこの日からできる限りの準備を始めた。

しかし、財務省は「防衛庁が勝手に始めた派遣準備」とみなし、補正予算の編成を認めなかった。

その一方で小泉首相は米政府に「年内のイラク派遣」を約束、防衛庁は予備費をやり繰りして物品調達を開始、北海道旭川市の第2師団では派遣要員の選定が始まった。「なし崩し」のうち、イラク派遣は動き始めたのである。

当時、陸上幕僚長だった先崎一氏は全隊員の帰国後、私の取材に対して、陸上自衛隊が死亡した隊員の「国葬」を独自に検討した事実を認め、「隊員の死には当然、国が責任を持つべきだと考えた」と心情を明かした。

先崎氏の言葉からは、「政治家は自らの立場を優先させて自衛隊のことは考えない」という不信感がうかがえた。

イラク派遣を通じて、自衛隊員の間で「シビリアンコントロールは、あてにならない」という恐るべき教訓が残されたのである。

イラク派遣に際し、「殺されるかもしれないし、殺すかもしれない」と話し、隊員に覚悟を求めた小泉首相は、イラクの陸上自衛隊を1回も訪問しなかった。ブッシュ米大統領は2回、ブレア英首相は5回、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は1回、いずれもイラクを訪れ、自国の兵士を激励した。閣僚の訪問はさらに多い。

サマワ宿営地を訪問した日本の閣僚は防衛庁長官2人だけ。2人とも派遣期間を定めた基本計画の期限切れ直前に訪れており、派遣延長を決めるために必要な事務的訪問に過ぎなかった。

「シビリアンコントロール」以前の問題

稲田氏が防衛相在職中に国会や選挙応援演説で失言を繰り返し、訂正に追われたのは記憶に新しい。

防衛省には政治任用の補佐官制度があり、事務方トップの事務次官より上に位置して大臣を直接補佐するが、稲田防衛相のもとでは空席だった。補佐官の下にはやはり政治任用の参与が3人いたが、3人とも稲田防衛相のもとで辞任し、こちらも空席。

補佐官、参与とも不在という異常事態のまま、稲田氏は防衛相を辞めている。

シビリアンコントロールを活用できなかった稲田氏が今になって、シビリアンコントロールの不在を主張するなら、まず自ら反省しなければならない。

また一方で、陸上自衛隊の指揮命令系統では枝葉にあたる研究本部や国際活動教育隊に日報が残っているのに、なぜ幹にあたる運用部門に残っていないのだろうか。

次の海外活動に備え、活動を企画・立案する運用支援課などの運用部門にとって、日報は宝のような第一次資料である。「残っていない」のではなく、「残さなかった」と考えなければ、つじつまが合わない。