NHK高瀬アナのコメントでわかる「ひよっこ」と「わろてんか」の差

怒涛の完全調査!
堀井 憲一郎 プロフィール

長い停滞

わたしも高瀬アナとだいたい似たような印象だった。

ぼんやりと感じていたけれど、高瀬アナのコメントを並べてあらためて気がついたのは、「『わろてんか』のヒロインのとっつきにくさ」である。

少女時代から駆け落ちして結婚するまでは、ハツラツとしていたが、しかし結婚してやがて寄席経営を手伝うようになると、あまり動きがなくなった。

成功した女性の半生記にありがちな“登りつめてからの停滞”である。

特に今回は停滞が長かったようにおもう。

そもそも、今に語られる大阪の女傑がモデルだったのに、何かに遠慮したかのように、傑物ぶりが描かれなかった。吉本興業の女社主が通天閣を買ったというのは、当時の大阪でも大きな話題だったのだが、そのエピソードも何だかとてもあっさりした扱いだった。

モデルの“吉野せい”は、「ものすごくスケールが大きくてパワフルな大阪のおばちゃん」だと私は勝手におもっていたのだが、そんな気配はまったくなかった。「京都育ちの(←これがすでにフィクション)笑顔の素敵な御寮(ごりょん)さん」だった。美人の優等生タイプで、あまり共感して熱心に応援したくなるタイプではない。

だから、ヒロインの傍にずっといた“おときさん”に親近感を抱くのが自然だった。高瀬アナがしきりにおときさんを押していたのは、べつだん彼の趣味ではなく、ドラマがそういう仕立てになってたからである。

上方演芸(とくに上方の落語)が好きな私は、明治から昭和なかごろにかけての演芸の世界が描かれるのかと少し楽しみにしていたが、途中からほぼまったく描かれなくなった(ときどき著名なエピソードが採用されていただけである)。

落語や漫才を描くつもりはなかったようだし、また女傑ぶりも描かなかった。大正から昭和への世相を描いてはいたが、その激動の時代を伝えたかったようにも見えない。

そして「女興行師としての豪快さ」も伝えるつもりはなかったようだ。

要は、彼女のまわりの人たちの、いろんな出来事を描いていく、そういうドラマだった。言い方は悪いが、べつだん何でもないドラマだった。それでも退屈しないのは、やはりそれぞれのキャラクターの強さと、それぞれのエピソードの面白さにあったのだとおもう。

だいたい1、2週、ときに3週で1つのエピソードが終わる。

島根の泥鰌すくいの娘たちや、月の井団吾と団真の落語家の兄弟弟子、伊能栞の東京の母、など、そのときに限り登場して、退場すると2度と戻ってこないキャラクターもたくさん出てきた。のちに再び登場して懐かしいというような回収はなく、ある種の使い捨てキャラクターだった。

高瀬アナもなかなかコメントのポイントを合わせにくかったのだろう。

それでも楽しかった。

5年経つと内容をよく覚えてない、という朝ドラ定番のひとつになるのだろう。

4月から『半分、青い』が始まった。

ヒロインが胎児の状態から語り始めたドラマである(すぐにナレーターは祖母に移ったが)。

高瀬アナは、第1話で、このあと半分青い、です、と紹介したのみで、第一週目はそのあとは触れず、やや落ち着いて見守っているようである。

さて、どうなりますやら。