インターホンが壊れて夜も眠れない…高齢者「関係の貧困」の正体

相談できる人、いますか?
真鍋 厚 プロフィール

「御用聞き」に対するニーズが拡大している理由は簡単だ。「家族で助け合う」ことが困難になっているからである。そこで、第三者の手を借りる必要が出てくる。

まず、「家族」がいない人がいる。身寄りのない高齢者をはじめ、単身者は増える一方である。さらに、様々な事情により、「近くに住む家族」がいない人がいる。これも事実上の単身者といえるだろう。

また、冒頭で少し触れたように、高齢化などに伴って、医療や福祉などの支援が不可欠となり、それらの仕組みがないと「家族」そのものが維持できないといった問題が深刻化している。いわゆる「老老世帯」における「老老介護」が典型だ。

以上のような状況に追い打ちをかけているのは、地域そのものの分断と孤立化の進行である。

一昔前であれば、ご近所付き合いが活発で、銭湯などの社交場があり、世話焼きおばさん・おじさんが必ずいた。このような生活環境がすでに衰退してしまったため、一人ひとりが抱える「ちょっとした困りごと」が、いつまでも解決されず放置されやすくなっている。

 

そもそも「家族」は、外部との有機的なつながりの中で、初めて成り立つ最小単位のユニットといえるものであり、周囲からの物心両面の支えがないと瓦解する。

昨今では、「町づくり」「コミュニティデザイン」と題された取り組みがもてはやされている。しかし、その設計範囲はあまりにマクロレベルであることが多く、最初から移動や参加に難がある人は除外される傾向にある。そうすると、少なくない層がコミュニティの輪から零れ落ちることとなる。

このような現状について、古市さんは「これまで〝個人発のコミュニティ〟という視点で見られてこなかったことがあると思います」と指摘する。

「町全体から考えるアプローチではなく、あくまで一つの世帯主に寄り添う。その人の部屋のドアや窓から世界を眺めると、何が見えるのか。そういったミクロなアプローチから、どんなつながりが必要なのかを考えることが重要なんです」

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「家族機能のシェア」が始まっている

古市さんの問題意識は、「関係性の多重防護」という捉え方ともリンクする話だ。

前回筆者は、「世界の終末」に本気で備える米国の「プレッパー」と呼ばれる人々を紹介した(「第三次世界大戦に本気で備える『プレッパー』たちを知っていますか」)。彼らは「予備の予備」、「予備の予備の予備」にとことんこだわる、いわば「リスクヘッジの申し子」のような人々である。

彼らはこの「予備の予備」という発想を、当然ながら備蓄する物資だけでなく、人間関係にも応用している。社会システムが機能不全に陥る緊急事態を想定して、できるだけ多くの人々と協力関係を築いておく、というのがプレッパーたちの生活信条だからだ。

極端な例では、非常時に自分の妻の「予備」として子どもの世話をしてもらうことを前提に、「妻の妹と同居する」ケースさえあるという。

地域において分断と孤立が進行する日本の現状に対して、こうしたサバイバリズム(生存主義)的な態度で臨むとするなら、どうなるだろうか。特に、医療や福祉がフォローできない「関係の貧困」についてである。

前述した高齢者女性のように、日常的な「困りごと」を相談する相手がいなければ、致命的な事態が起こりうる。