「SNS映え」で観光客も増えた地方が、活性化しないのはなぜ…?

地方ブームが終わる前に何ができるか
貞包 英之 プロフィール

「ソーシャル」化する地方

結局、「地方活性化」の困難は、地方への移動が活発化せず、大都市と地方の断絶が大きくなることに尽きるのではないか。

それが人口減少を推し進め、地域の人間関係の閉塞をきつくする。「交流人口」や「関係人口」を増やすといった試みは、そうした厳しい現実を糊塗する言い訳としてしか働かない。

ではなぜ移住が進まないのか。それは端的にいえば私たちの暮らしの自由度が低いためというしかない。

たとえば大都市に留まる理由として、地方に「安定した仕事」がないことがしばしば挙げられる。それは事実だろうが、しかしこのことはむしろ正規の職を求め競争しなければ生きられないこの社会の問題を浮き彫りにする。

同一労働同一賃金など働き方の改革についての議論もたしかに進んでいるが、それがうまくいってなお、正規職と非正規職との間には社会保障や退職金などの厚い壁は残る。

非正規職では、充分な福利厚生を受けがたく、それを補うはずの給与も低い。そのせいで私たちは一旦得た終身雇用の仕事にしがみつき、自由に住む地域さえ変えられなくなっている。

また居住のシステムにも問題がある。

戦後日本は「持ち家」政策を進め、結果として自分の家を所有することが、ステータス的、またしばしば資産的に有利にされてきた。

それが物理的に移住を困難にするばかりか、長期の住宅ローン契約のせいで転職等のリスクを取ることをむずかしくしているのである。

加えて教育システムの問題もある。単位ごとに学校を選ぶのではなく、一つの学校に初めから最後まで通うことを前提とした日本の教育システムでは、転校は容易ではない。それが子育て世代の移動をかなり困難にしている。

 

まとめるならば、地方と大都市の対立の根幹には、定住を強く求める日本社会のシステムが立ち塞がる。

この社会は私たちに一つの場所に留まり、働き、家を建て、子を育てることを強く求める。仕事や学校を変えることは難しく、長期の休みを取ることも不可能なせいで、地方と大都市の間で生活拠点を変えるような暮らしは実現しがたいのである。

それは地方でも同じである。考えてみれば地方が活性化のために「定住」を求めることは、戯画というしかない。

定住への社会的要請が強いために移住が進まないにもかかわらず、自分も定住を求める。地域おこし隊の場合に典型的だが、再び大都市に戻ったり、別の場所に移住したりする「逃げ道」を断つことで、移住に踏み込むことを難しくしているのである。

地方を最先端なものとして消費するブームは、こうした現実から目を背けるために、むしろさかんになっているようにみえる。

それは地方と大都市の垣根を乗り越える「関係人口」やSNSを通した承認と共感という夢を振りまくことで、私たちを縛る「日本社会」というより大きな拘束をみえなくする。

だがやがてブームは去るだろう。そうして「冬が来る」前に、たんにソーシャルにではなく、ポリティカルに自分たちの状況に向き合い、より自由で、多様で、余裕のある、それゆえ地域に制約されない生活を築くことはできないだろうか。

たしかにそれが実現しても、すぐに大量の移動が起こり、地方人口が回復するわけではない。ただし「移動」が自由になれば、それだけ都会と地方を対立させ問題化する理由もなくなる。

地方にいるか大都市にいるかは、あくまで一時的なライフスタイルの選択になるからであり、そうして初めて「地方消滅」という問題そのものを「消滅」させることができるはずなのである。