「SNS映え」で観光客も増えた地方が、活性化しないのはなぜ…?

地方ブームが終わる前に何ができるか
貞包 英之 プロフィール

『ソトコト』と地方のブーム

こうして、(1)高級化、快適化(ジェントリフィケーション)の進展によってますます「承認」(=いいね)を受けながら、(2)それが活性化に結びついていないという厳しい地方の現実が浮かび上がる。

なぜこうした事態が起こっているか。それを理解するためには、今の地方ブームがいかなるかたちで成立しているのかを考えてみると良い。

現在の地方への関心の高まりは、2010年代の前半からなかばにかけ醸成された。

2011年の東日本大震災、藻谷浩介らの『里山資本主義』(2013年)や増田寛也らの『地方消滅』(2014年)の出版、さらに2014年に発足した第二次安倍内閣発足で国是とされた「地方創生」を機に、一気に地方への注目が膨らんだのである。

その流れに乗るとともに、そもそも一つの源流となったのが、雑誌『ソトコト』(公称発行部数は10万部)である。東日本大震災直後に編集長に就任した指出一正の指揮のもと、『ソトコト』は地方の自然やコミュニティをしばしば取り上げ始める。

それまでも地方を取り上げ、称賛する雑誌がなかったわけではない。

井口梓(「都市住民の農村居住」田林明編著『商品化する日本の農村空間』)によれば、1982年出版の石井慎二の『すばらしき田舎暮らし』を先駆けに、「田舎暮らし」というキーワードが新聞雑誌記事で急増する。

地方で農業をしながら、バブル以後はレジャーを楽しみつつ暮らすことが推奨されたのである。

ただしこの流行が、近年の地方ブームに直接つながったわけではない。

 

ひとつに「田舎暮らし」が、定年退職を迎えつつある中高年層をメインターゲットに据えていたのに対し、現在の地方暮らしはおもに若年層に働きかけるものになっている。

実際、今の『ソトコト』の主要読者は、「20代、30代」(指出一正『ぼくらは地方で幸せを見つける』)といわれている。

第二の特徴は、そうした若者に訴求するために、現在の地方暮らしが最先端の「かっこいい」ものとしてしばしば強調されていることである。

地方は、都会に疲れた中高年の逃避や癒しの場以上に、社会的なつながりが豊かで、都会にはないコミュニティがある場と称賛される。だからこそ地方にいち早く赴き、あわよくばチャンスを掴むことが若者に勧められるのである。

雑誌『ソトコト』が、その典型である。

『ソトコト』は、2000年代前半には「スロー」――2001年5月の特集「イタリア、小さな村々のスローフード」、2003年1月の「スローライフ大国、ポルトガル」に示されるように――、2000年代後半には「ロハス」――2006年5月の特集「ロハス大国 アメリカの歩き方」に示されるように――をキーワードとして流行させ、それに似合う(とくに海外の)グッズや食、住居や旅を紹介する広告的カタログ雑誌として成長した(図2)。

しかし2013年2月の「日本の地方に住んでみる」特集を皮切りに、日本の「地方」や「地域」が頻繁に取り上げられ始める。

この転進はかなり意図的なものだったようである。

原発事故の後に東京電力との関わりが批判された影響もあるかもしれないが、その時期、編集長となった指出一正によれば、「新しい読者層」を取り込むために、「色褪せ」た「ロハス」という言葉を捨て、「ソーシャル」という言葉を軸に据え地方を取りあげることにしたという(指出一正『ぼくらは地方で幸せを見つける』)。

それを追い風に、地方は多くの人びとから「承認」を集める流行の対象として演出されていくが、このことの含意は2つある。

ひとつに現在の流行の背後に、まがりなりにも「快適」化の進んだ地方の変貌が透けてみえること。

先に触れたように近年、地方にも小奇麗な場が多いが、そうした場を中心に、現在の地方は流行から取り残された遅れた場所という以上に、「スロー」、「ロハス」の後を引き継ぐ最先端の場として消費され、人びとの自己肯定の道具になっている。

ただしもう一つの含意は、それがブームであれば、いつかは終わるということである。「スロー」や「ロハス」が最先端のものでなくなり捨てられたのと同じ道を「地方」のブームもいずれ辿らざるをえない。

だとすれば大切なことは、地方で「SNS映え」するモノや場所を探し、「承認」を求めることではない。それは地方活性化に貢献するどころか、ブームの陳腐化を推し進め、その終了を早める恐れさえある。

むしろ重要になるのは、地方に注目が集まっているうちに何かを変え、何かを残していくことなのではないか。