# 日本文化

外国人観光客を「なんとなく」増やすことに私が断固反対する理由

日本の皆様、本当に覚悟はありますか?
堀井 憲一郎 プロフィール

国が主導してるから、ちょっと信用しようかという気になるのだが、いやいや、古く満蒙開拓団の例を出すまでもなく(ちょっと古すぎますが)、バブル期の国の政策もべつだん落ち着いていたものだとは言えず、国の主導というのは、とくに社会が動いているときの国の対応は、あまり正しいものとはいえないものも多く、国が主導しているからという理由で信用する根拠にはならない。

しかし、いま「観光立国ニッポン」に批判的な視点を持っている人も、傍観の立場をとる時期のようだ。

みんな推移を見守っている。

 

日本列島の歴史に対する挑戦

そもそも、そんなに一挙に外国人を受け入れることを、国民はいいとおもっているのだろうか、私は疑問である。

大きく声を上げて反対はしていないが、しかしどっちかというと嫌だなあ、とおもっている人も多いはずである。その説明のないまま、知らぬままに外国人観光客が増えていっている。ちょっと危ないとおもう。

短期間滞在だから大丈夫、というのはべつだん説明にはならない。短期間滞在が次々と絶え間なくやってくるかぎりは、国内にはどの瞬間も大勢の外国人がいるわけで、そういう状態になれば、以前よりも悪い外国人も入国しやすくなる。

いつも大勢の外国人がいるという体制を一度取ると、もとには戻せない。そういう根本的な変革である。そのリスクについて、あまり説明していない。

明文化されていないが、しかしいままでの法令が禁止しているところを見るかぎり、我が国は「外国人を多く国内に住まわせない」ということを国の決まりとしていたはずである。移民も難民もほとんど認めないという処置は、はっきりとは言っていないが(言うと喧嘩になるから)、そういう国是があるからだろう。

言葉にされてない決まりには、歴史的な意味があるわけで、言葉にされてないぶん、破るのは簡単にできそうです。しかし、そのあとの反動がおそろしい。

外国人を「一挙に」受け入れるというのは、私には「日本列島の歴史に対する挑戦」に見える。この列島では、いつも徐々にしか受け入れてこなかった。

それでは時代から遅れる、日本も大きく変わっていかねばならない、というのなら、歴史的な大変動に対する説明と心構えをもっと強く主張しないといけないのではないか。

また国民も、もう少し大きな変動であることを感じたほうがいいのではないか。

小さいところでいえば、実際に外国人観光客と接するのは、多くのふつうの日本人である。観光地で働く人だけではなく、たとえば東京に住んでいて、都内を移動するたびに外国人観光客と遭遇する。東京中心部の電車に乗って外国人観光客と接しないことはほぼない。

券売機で困っている観光客を見かけたり、ホームで奇妙なところに陣取っている集団をよけて歩いたり、スーパーやコンビニのレジで困って列が長くなるのを見かける。くりかえし接触する。

そのときの対応について、「日本人の善意で何とかお願いします」ですまそうとしているのが、現状である。

それでいいいのか。

いいわけないでしょう、と私はおもう。

もう少し、丁寧な説明があったほうがいい。

しかしほとんど説明がない。みんな一抹の不安を抱えることはあっても、身の危険を感じるほどではないので、黙って見ている。

おおごとになってから何か言い出しても遅いのだが、誰も何も言わない。

私にはそういう不安定な状況に見える。