Photo by GettyImages

大ヒット曲『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』の裏話を語ろう

大木トオル×佐藤剛×築波修二
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
宇崎竜童率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドが'75年にリリースした4枚目のシングル。オリコンで5週連続1位を獲得、同年のレコ大で企画賞、FNS歌謡祭で特別賞を受賞した

詞のストーリーが進むにつれ、タイトルの「ヨーコ」にたどり着いていく――。米国のブギを基調にした、語り口調のロックが日本の音楽の歴史を塗り替えた。

最初はB面扱いだった

佐藤 『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』(以下『港のヨーコ』)は'75年4月20日にリリースされ、80万枚超の大ヒットを記録しました。

とはいえ当初この曲は『カッコマン・ブギ』のB面扱い。前年末にヒットした『スモーキン・ブギ』に続く、ブギ第2弾が『カッコマン・ブギ』だったんです。

築波 この曲が発売されたころ、僕はすでに音楽業界に身を置いていましたが、レコード会社が宣伝に力を入れていたのは『カッコマン・ブギ』のほうだったとよく覚えています。

業界誌に掲載された広告でも、『港のヨーコ』は隅に小さな字で書いてあるだけで、やはりB面扱いでした。

佐藤 大きなヒットが出たら同じ路線でやるのが、当時のレコード会社の常套手段。「2匹目のドジョウ」どころか、「ドジョウは3匹までいる」と言われていましたからね。

でも、僕はテスト盤で『港のヨーコ』を聴いた瞬間に「こっちが絶対売れる」と確信しました。

築波 僕もサンプルのA面、B面の両方を聴きましたが、「宇崎竜童」でなければ作りえないのは『港のヨーコ』のほうでした。ですから「どうして『カッコマン・ブギ』がA面なんだろう」と不思議に思っていました。

 

大木 私はダウン・タウン・ブギウギ・バンドがデビューした当初からステージなどのプロデュースを担当。実は、『カッコマン・ブギ』のモデルは私なんですよ。

当時、宇崎竜童は日本で本物志向のロックをやる兄弟分のような存在。みんなが憧れるグループになって欲しいという思いから、「カッコつけろ。カッコマンになれ」と言い続けていたんです。

でも、「これは師匠がモデルなんです」と言われたときは、さすがに驚きました。

築波 そうだったんですね。

大木 ですが、私も『港のヨーコ』を初めて聴いたとき、「ああ、こういうアイデアがあったのか」と驚かされました。彼らは米国の音楽に憧れ、僕もそれを教えてきたつもりです。

宇崎さんはそこになんともいえない日本的な味付けをして、さらに奥さんの阿木燿子さんがあの詞を乗せてきた。