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なにが正しくて、間違いなのか?不安定な心を見つめる私の「羅針盤」

前田司郎「わが人生最高の10冊」

正常と異常の間で

20代の頃、書店で彼女と待ち合わせをしたら、1時間くらい遅れると連絡があったんです。そうか、どうしようかなと。

それまで僕は小説や漫画ばかり読んでいたのですが、ちょうどその時、戯曲か小説を書いていて〈人はなぜ人を殺すのか〉を考えていたんですね。ふと、この書店の中に、何か示唆を得られるような本があるんじゃないかと思い、初めて精神医学や心理学のコーナーに行って、目に留まった本を何冊か買いました。

特に面白かったのが、福島章さんの『ヒトは狩人だった』で、ここから今につながる僕の読書が始まったんです。

犯罪精神医学が専門の福島さんは、心理、社会気質などから実際に起きた凶悪事件を読み解いています。最新の研究に沿わない主張もあるのかも知れませんが、それでも今も十分に読む価値のある本だと僕は思います。

福島さんの他の本も読み、正常と異常の違いとは何だろう、と考えるようになりました。殺人事件が起きると、テレビのコメンテーターが「人間の所業とは思えません」とか言いますよね。その発言の根底には、自分は正常で、彼らは異常、という線引きがあるような気がします。でも僕にはそう断言できない。

罪を犯すような人は、人非人であると言い切ってしまえば、安全なところに身を置くことは出来ても、人間を深く理解する機会を失いかねないからです。

必然、精神分析学にも興味を持つようになり、『ユキの日記』に出会いました。喘息のため幼少期のほとんどを病床ですごし、20歳で統合失調症を発症、28歳で亡くなったユキという女性の、8歳から20歳ごろまでの日記です。

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自らの内面を克明に記録したユキさんの存在が今でも心に強く残っています。日記文学にも興味を持つようになりました。

精神分析学の本に飽きてきたころに出会ったのが蛭川立先生の『性・死・快楽の起源』です。まさに性と死の起源に興味が向いていた自分にうってつけの本でした。

蛭川先生には実際にお会いしたこともあるんですが、とても素敵な方です。タイの寺で瞑想を学んだり、アマゾンでサイケデリックス(精神展開薬)を用いた儀礼を体験したり、文化人類学的な立場からも、人間の「性」や「死」を考えています。こういう見方もあるのかと目を開かれました。

僕は「神様って人がつくった存在なんだろうな」と、ぼんやり思っていました。だから『神の発明』というタイトルを見つけた時に、やっぱりそうだよねと。この本は一神教の成り立ちが書かれていて、その後、宗教の本も読むようになりました。

兵士として戦った女性たち

エジプト考古学者の吉村作治さんにはテレビに出ている変なおじさんというイメージしかなかったのですが、梅原猛さんとの対談本『「太陽の哲学」を求めて』を読んで、これは凄い人物だと思いました。エジプトの多神教と仏教の重なりについて話されています。

この辺りから海外での演劇の仕事が増えヨーロッパをまわったりしたのですが、様々な宗教、文化を持つ人々と話しているうち、自分が文化、特に宗教について何も知らないということがはっきりしました。

宗教も、それから歴史も学び直さなければいけないなと感じていた頃に読んだうちの一冊が『日本人とユダヤ人』です。

ユダヤ人の文化に直接的に触れた本を読むのは初めてでした。日本人とユダヤ人の比較を面白く読める、普遍性を持った名著です。著者のイザヤ・ベンダサンは評論家の山本七平さんのペンネームだということを知り、山本さんの本も読むようになります。

次第にこれまで個に向かっていた興味が、集団としての人間へと移っていきました。本に導かれているのか、自分が本を呼び寄せているのか、どちらかわからないですが、渦を巻くように興味が飛散し、やがて集約し、深まっていくような感覚があるんです。

戦争は女の顔をしていない』はタイトルに惹かれて手に取りました。

ソ連では第二次世界大戦中、女性も兵士として戦っていたことに驚きました。彼女たちのポートレートを自分なりに読み解いていくと、人が獣に変わり戦争が起きるわけではなく、人が人のまま戦争をしているように感じました。だとすると、なぜ戦争は起きるのか。人は戦争を希求しているのか。

〈人はなぜ人を殺すのか〉という問いは、〈なぜ戦争をするのか〉を含んで、今も僕の中に未解決のまま残ります。暫定的にでも真正面から取り組まなければならないテーマだと思っています。(取材・文/砂田明子)

▼最近読んだ一冊

「外出時は薄い本を持ち歩くことにしている。薄いという理由だけで選ぶので未開のジャンルに飛び込める。本書は門外漢の自分にも判りやすい。現代物理学の入門書としても偉大な人の横顔を知る本としても読める」