# 日本文化

日本社会にしぶとく残る、男女で推奨される「ふるまい」の違い

男女平等教育の陰で…
堀井 憲一郎 プロフィール

フルーツに関しては、動物的な部分と、文化的な部分が混じっているような気がする(海外でどうなのかを知らないし、フルーツが盛んにとれるエリアではまた違う気もするので、断定しにくい)。

ただこれは「教えられて守っている」という男女差ではない。

封筒の話は、文化の話である。これは教えられたものだ(だからフルーツの話は本論とは直接は関係ない。ちょっと入れてみたエピソードです。ややこしくてすいません)。

男性は「やや乱暴」でいい

「現金は封筒に入れて渡す文化」は若い世代では女性しか守っていないのは、親の意識によるものだろう。それもおそらく母親の意識だ。女子にしか伝わってない文化であれば、女性親にその連鎖のもとはある。

簡単にいえば女性は「丁寧」であり、男性は「乱暴」であって(「やや乱暴」というレベルだが)それでいい、という意識だ。

 

男性の「やや乱暴である」ことは、女性の丁寧さと同じくらいに求められている。昔の話ではなく、21世紀現在、2018年春先の大学生を眺めていての感想である。

たしかに20歳前後の学生を集めたとき、事務的な諸作業は女性にまかせたほうが確実である。

これはもう何十年も大学生に作業を頼んでいると、わかってくる。

昭和のころからそうで、平成からその次になろうとしていても同じである。たぶん天明寛政のころから変わってないのだろう。

むかし、学生を集めて「宛て名」を書く作業をやっていてもらったとき、女性はふつうに丁寧に書いてくれたが、男子は、途中からゲーム化してしまった。どう早く書くかを競い出す。

複数の男子がいれば当然そうなるし、一人でやらせても遊び出す。5分以内に20通書く、というようなスピード遊びを始める。とても乱雑な文字で書いたあげく、「できました! 早いでしょう」と褒めてもらおうとする。小学生を育てている母親みたいな気持ちになる。

きれいな字でなくていい、丁寧な字で書け、と言っても早く書く。「丁寧」を自分勝手に解釈してしまうのだ。

あるときから「丁寧に書け」とは言わなくなった。「筆記具(ペン)の先と紙が接地している時間を、とにかく、できるだけ長く取れ」と指示するようにした。

それでもすぐに次の線に飛ぼうとするので、「待て! 待て! まだ早い! もっとゆっくりだ」と説明をした。そこまでやってやっと、丁寧ってゆっくり書くことですか、と納得し始める始末である(男性みながみなそうではないが、でも必ず一定数、そういうタイプが含まれている)。

それが男子の特徴である。女子にはあまりそういう傾向がない。

昔に比べて、男女はより同等に育てられているのかとぼんやりと想像していたが、そうでもないらしい。ぼんやり想像するというのは、つまり何も考えてないだけである。「昔よりは女性が社会で認められているような感じだから、ちょっとは変わってるんじゃないの」というのは、「新宿駅を出たから次は新大久保駅か」とおもってるようなもので、何も考えてやしない。

おそらく、時間が進むと世の中は良くなってるんじゃないかと、どこかでのんきに信じているからだろう。どうやら勘違いのようだ。

うちの社会は、男の子と女の子の育て方を、きちんと分けている。

世界の男女平等ランキングというのが発表されると、日本はたしかすごく下位にランキングされていて、そのニュースを見たときには、ぼんやりとそうなのか、と眺めるだけなのだが(もうすこし上でもいいんじゃないの、とぼんやりとおもわなくもないが)、男子と女子がまったく違う文脈で「教育」されているのを見ると、男女平等ランキングなど気にしないで、男と女を別の仕草をする人に育てているのだ、とおもいいたる。