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# 日本文化

日本社会にしぶとく残る、男女で推奨される「ふるまい」の違い

男女平等教育の陰で…

男女で違う現金の渡し方

先だって、学生たちとスキー旅行に行くので、個々に金を受け取った。

1人ずつ会ってお金を受け取る。

そのとき、お金の渡し方に男子と女子で大きな違いがあった。

女子は基本、封筒に入れてお金を渡してくれる。ときに、現金そのままで渡してくれる場合でも「ナマのままですみません」とひとこと断る。つまり「現金は封筒に入れて渡すもの」とおもっているわけである。

男子は、べつだん、かまわず現金をそのまま手渡してくる。目の前で財布から出して、そのまま渡してくれる。ナマですいません、という断りを入れる子もいない。

男子13人、女子15人、ほぼ例外なく、そうだった。

女子は必ず封筒に入れて渡そうとするし、男子は何も気にせずナマで渡してくる。

きれいに分かれたので、ちょっと驚いた。

さすがにこれは何だろう、と考えてしまう。

男と女の差である。しかも誰もさほど意識していない差である。一挙に30人ほどの人間から個々に現金を受け取るということをしないかぎり、気がつきにくい。

それぞれ別の家庭で育てられている(いい大学の子たちだから、そこそこいい家庭育ちだとおもう)はずなのに、「性差」によって行動がそろっている。不思議といえば不思議だし、まあ当たり前といえば当たり前かもしれない。

とりあえず、「女子には日本的マナーを教えるが、男子にはとりたてて教えない」という教育方針が、取られているようだ。

だがこれはもう、教育の問題ではないだろう。

彼、彼女たちの親の世代が抱いている意識の差である。それはたぶん日本社会の意識の問題である。

男と女では、敢然と教える内容を変える。

明らかに男と女を区別している。

 

フルーツをめぐる男女差

28人を引率して、スキーに行って、2日目の昼に食堂で昼食を摂っていると、食堂のおばちゃんがサービスでリンゴをくれた。お盆にリンゴをたくさん盛って出してくれたのだ。

フルーツに関しても、何となく男女の差がある。

個人的に私は「女性はとても喜んでフルーツを食べるけれど、男性は女性ほど積極的にフルーツを食べない」とおもっている。

このときもそうだった。女性側に置かれたリンゴはあっと言う間にきれいになくなったが、男性側のリンゴは、もちろんある程度はなくなるのだが、そこそこ残っていた。食べてない男性がいる。

男と女の行き違いについて話すとき、ときどきこのエピソードを用いる。

特に女性に向かって、「女性は無条件にフルーツがみんな大好きなものとして提供するが、男性はみながすべて受け入れているわけではない」と伝える(若い女性はだいたい驚く)。女性とまったく違う男性の心情も想像したほうがいい、というポイントで話している。

男性は(すべての男性ではないが、高校生くらいから働き盛りの男性の多くは)フルーツは嫌いではないが、でも進んでは食べない。と私はおもっている(以下、自分とその周辺から想像した私見である)。

男性もフルーツは嫌いではない。ただ面倒なのだ。だから積極的には食べない。

いやもちろん、しきりにフルーツを食べる男性がいるのも知ってる。私みたいな面倒がりは、おそらく男性の6割くらいではないだろうか(無根拠で直観的な推定)。

「多くの」男性は、面倒がる。母に、姉に、妻に、強く勧められたら断る理由がないので、のそのそ食べる。食べたら、まあ、旨いとおもう。しかし、何となく食卓に出ているだけでは、積極的に手は出さない。肉料理における添え物野菜みたいにとらえている(パセリとかクレソンあたり)。

食べてもいいが、べつだん食べなくてもいいだろう、とおもっている。

これはこれでどうしようもない。

決定的な男女差だと私はおもっている。