「生きているハチ公を見た」97歳の元特攻隊員が語る東京の原風景

平成が終わる今だからこそ
神立 尚紀 プロフィール

やっぱりアメリカにはあこがれていた

小野さんは大正10(1921)年2月12日、東京市小石川区(現・東京都文京区)音羽に生まれた。

祖父は徳川幕府の旗本で、フランス語通訳を務めた小野清照。きょうだいは、姉が一人である。旧幕府の直参だった家に、跡取り息子として生まれた小野さんは、安政生まれの厳格な祖母にしつけられて育った。

「いちばん古い記憶は関東大震災(1923年9月1日)のときです。地面が揺れるなか、私を背負った女中が木にしがみついていた光景。それと、うちの庭に雨戸を敷いて、それを囲んでお昼ご飯を食べている光景。――当時私はまだ二歳半ですから、あとで人から聞いた話が自分の記憶に置き換わっているのかもしれませんが」

関東大震災は東京湾岸を中心に壊滅的な被害をもたらしたが、小野さんの住む小石川区(現文京区)は比較的被害が少なかった

小野さんの生家は、護国寺に隣接する皇族専用の豊島ヶ岡御陵(現・豊島岡墓地)の、不忍通りをはさんだ正面にあった。3歳だった大正13(1924)年、家の前の不忍通りを東京市電(路面電車)が走るようになり、小野さんは幼心に電車に憧れを抱くようになる。

「当時の市電は横にドアがなく、運転手が立って運転している様子が外から見える。それがカッコいいと思い、飽きずに眺めていました。このときから動く機械に惹かれるようになったんです。子供の頃は模型も作りましたよ。機械でも、ラジオなんかは動かないから興味がなかったですね」

市電がきっかけで電車に興味を持つようになった小野さんは、旧制第一東京市立中学(のちの九段中学)に進むと、ベストコダック(通称ベス単)という、当時ベストセラーだったアメリカ製の蛇腹式カメラを持って、東京近郊の電車の写真を撮り歩くようになった。撮った写真は、車両ごとに分類してアルバムに貼る。いわば、現在「撮り鉄」と称される鉄道マニアのはしりと言える。

「当時、撮りに行った私鉄電車は、武蔵野電鉄(現・西武池袋線)、西武鉄道(現・西武新宿線)、東京横浜電鉄(現・東急東横線)、玉川電気鉄道(現・東急世田谷線など)、京王電気軌道(現・京王電鉄)、小田原急行(現・小田急)、京浜電気鉄道(現・京浜急行)……小学一年生の頃まで、東武東上線は蒸気機関車が走っていましたが、二年生の年(1929年)に電車になりました。

私は、原点が市電だったもので、機関車よりも電車が好きです。山手線の内側は、市電と、いまの地下鉄銀座線の他には、王子電車と呼ばれていた王子電気軌道、現在の都電荒川線だけでした。当時、隅田川の向こうには用もないし、うちからは電車の便も悪いので、行ったこともなかったですね」

中学二年生だった昭和11(1936)年2月26日には、登校時に二・二六事件に遭遇。このときの話は、「現代ビジネス」2018年2月26日配信の『「クーデター」2・26事件を経験した若者達の「それぞれの回想」』のなかで述べた。

「当時の公立中学はみんなそうだったと思いますが、第一市立中学も遊ぶことに関しては厳しかった。授業が終わったらまっすぐ家に帰れ、生徒が喫茶店や映画館に行くのも、保護者が同伴でない限りいっさい禁止、という具合です。

でも中学五年にもなればこっちも生意気になってきて、学校が終わると飯田橋の駅にカバンを預け、丸の内の帝国劇場に映画を見に行ったりもしました。初めて日本語字幕のついたトーキー映画『モロッコ』や、ルネ・クレール監督の『巴里祭』が印象に残っています」

小野さんが中学五年生になったのは昭和13(1938)年。この年、国家総動員法が施行され、すでに前年(1937年)、中国大陸では支那事変(日中戦争)が始まっていたが、まだ街は賑やかで、カフェやダンスホールにはジャズが流れ、映画館では洋画が上映されていた。

これは、東京だけの話ではない。小野さんと同年同月生まれで歴戦の零戦搭乗員だった宮城県出身の大原亮治さん(拙著『証言 零戦 大空で戦った最後のサムライたち』に所収)も、ちょうどこの頃、毎週土曜日の晩には仙台の映画館でレイトショーの洋画を見て、なかでもフレッド・アステア主演の『有頂天時代』や『踊らん哉』の劇中で繰り広げられるタップダンスに憧れ、真似をしようと友人たちと練習したと回想している。

アメリカとの戦争を数年後に控えてなお、当時の日本の若者の多くは洋画やジャズを好み、欧米に憧れを抱いていたのだ。

「昭和6(1931)年の満州事変、7(1932)年の第一次上海事変から、日本はずっと戦争をしていたわけですが、私たちには遠い世界の出来事というか、実感はなかったですね。『杭州湾敵前上陸』(昭和12年11月5日)で激戦があったなんて言われても、どこか他所事のようで、ピンとこないんです」