平成も終わろうとするいま、「昭和」の記憶もまた、遠い昔の話になりつつある。
平成元年に生まれた人が20代終盤に差しかかり、社会で活躍していることを思えば、「昭和」が「レトロ」や「懐かしの」というフレーズとともに語られる時代になったのはある意味、当然のことなのかもしれない。
「そういえば、父に連れられて渋谷に行ったとき、忠犬ハチ公を見たことがありますよ」
と、97歳の小野清紀(きよみち)さんは言った。小野さんは大正10(1921)年生まれの元零戦搭乗員である。
「ハチ公って、あの銅像の……」
「いや、銅像じゃなくて、生きてるハチ公。渋谷駅で、帰らぬ飼い主を何年も待ち続けているという新聞記事が出て、すでに有名だったから、あれがハチ公かと。見た感じはふつうの犬でしたよ。秋田犬でも、それほど大きな犬じゃなかった。銅像が立ったのは、それから一年ぐらい後のことでした」
これにはちょっと不意を衝かれた。私はこれまで、旧日本海軍の軍人をはじめ延べ数百人の戦争体験者の取材を重ねてきたが、近年では、長時間のインタビューで高齢の相手に負担をかけないよう、生い立ちはそこそこに戦時中の話題に入ることが多い。
小野さんがふと漏らした一言から、太平洋戦争で軍隊に行った世代は、戦後世代が銅像や映画でしか知らない「ハチ公」を生で見ていた世代であることに、改めて気づいたのだ。
ハチ公を有名にしたのは、東京朝日新聞の昭和7(1932)年10月4日付朝刊に投稿された「いとしや老犬物語」と題する記事だったとされる。
ハチ公は昭和10(1935)年3月8日、11歳で死んだが、渋谷駅前に銅像(初代。現在の銅像は二代め)が立ったのは生前の昭和9(1934)年4月21日のこと。除幕式にはハチ公自身も参列したという。だとすれば、小野さんの記憶に残るハチ公の姿は、昭和8(1933)年春頃のものだった可能性が高い。当時、小野さんは12歳、ハチ公9歳。
時間軸の幅を、ほんの少し広くとるだけで視点が変わり、これまで気づかなかったことも立体的に見えてくる。私は小野さんに、もう少し子供の頃の記憶をたどってもらうことにした。