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コーヒーを「世界的飲み物」に変えた、ナポレオンの失策とは

驚きの歴史

皇帝とコーヒーの複雑な関係性

15世紀、エチオピアで飲んだコーヒーを目覚ましとして修道者たちに勧めたザブハーニーは、コーヒーの歴史を語る上で欠かせない人物だ。また17世紀にオスマン帝国から献上されたコーヒーをフランスの上流社会に広めたルイ14世も、コーヒーの普及の立て役者だ。

ただ、そうした人物よりもコーヒーの世界的な普及に大きな影響を与えた偉人がいる。かのナポレオンだ。

ナポレオンとコーヒーの歴史を紐解くと、その複雑な関係性が見えてくる。1799年、ナポレオンは軍事クーデターで実権を掌握し、フランスのみならず、ヨーロッパ全体を勢力下に収めた。1806年には当時、「世界の工場」と呼ばれていたイギリスを経済的に追い詰めるため、ヨーロッパ大陸を丸ごと「封鎖」して海外との貿易を禁じる「大陸封鎖令」を発布。これにより植民地からの輸入品であった砂糖やコーヒー豆が不足するようになる。

そこで、ナポレオンはヨーロッパで入手可能な材料から砂糖とコーヒー豆を作る研究を奨励した。砂糖については、テンサイから作る技術が実用化されるが、コーヒー豆の代替品を見つけることはできず、結局、ヨーロッパ全土が深刻なコーヒー不足に陥った。また、大陸封鎖令はイギリスを弱体化させる効果もなく、むしろ貿易を禁じられたヨーロッパ諸国やフランス国民の怒りを買い、ナポレオンの失脚につながってしまう。

しかし、この世紀の失策は結果として、世界的なコーヒーの普及を促すことになる。この時代、中南米の国々の主要作物は砂糖だった。ナポレオンの大陸封鎖令でヨーロッパへ砂糖が輸出できず、また大陸封鎖時にテンサイ糖が実用化されたことによる砂糖価格の下落は中南米諸国によって死活問題となった。

そこで注目されたのがコーヒー栽培だった。広大な高原地帯を持つ中南米諸国は、コーヒー栽培にうってつけ。ブラジルやコロンビアなどは、世界にコーヒーを供給する「コーヒー大国」へと成長していくのだ。(井)

『週刊現代』2018年3月31日号より