財務省は「森友文書」の真相が一発で分かる方法をなぜ使わないのか

「記録がない」はずがない

「紙と墨のほうがマシ」なんて

筆者の知り合いのシステム・アーキテクトは「いわゆる版管理システム、構成管理システムはソフトウェア開発の世界では常識」と言う。

開発中のプログラムを格納しているファイルへのアクセスログを解析することで、プロジェクトの進捗状況を把握するエンピリカル(経験的)ソフト工学の手法も実用化されている。これを援用すれば、公文書のファイルへのアクセス状況を監視するだけで、不適正な動きの有無が分かるのだ。

ただ、こうしたシステムの再構築を行ったとしても、最大の問題は、適切な権限の付与と厳正な運用ができるか否かだ。

どんなに規定を厳しくしても、運用が緩ければ、また今回の財務省のように「ザル」になってしまう危険性がある。結局は「情報管理庁」のような新たな専門組織が必要だという議論になり、役人組織の肥大化と税金の無駄使いにつながる懸念もある。

「それならいっそ、紙と墨の正倉院方式はどうか」という可能性もあるかもしれない。実際、天智天皇九年(670年)に作られた戸籍(庚午年籍)は、1350年の星霜に耐えて21世紀まで現存している。

もちろんこれは冗談だが、忘れてはならないのは、あくまで「公文書は国民のもの」ということだ。

公文書をべったり黒塗りされた「海苔弁」状態で小出しにするのはもうやめて、常に国民の目に触れる場所で管理するのが、いちばんの改ざん防止策であるはずだ。官公庁の情報システムを担う大手ITベンダーにとっても、これこそが知恵の絞りどころであり、大きなビジネスチャンスでもあるはずなのだが。