「ここは、地獄か?」川崎の不良社会と社会問題の中で生きる人々

問題だけでなく、「希望」もある
現代ビジネス編集部 プロフィール

問題が見えないという問題

――川崎の子どもたちには、経済的に苦しかったりひとり親だったり外国人とのミックスだったりする子たちも多いとのことですが、それは一般的な生活の中でも目立って感じられる程度のものですか?

磯部 桜本にある川崎教会の初代牧師、李仁夏(イ・インハ)さんは同地や浜町、池上町などを"おおひん地区"と呼び、貧困や差別などの課題を抱える地区と位置付けて解決に取り組んでいました。

そこは、もともと在日コリアンの集住地域だったのですが、近年は中国やフィリピン、ペルーやブラジルなどからの流入者も増え、多文化地区の様相を呈しています。

さらに、コリアン系のひととフィリピン系のひとが結婚したり、ルーツが混ざり始めてもいる。

――川崎のきれいな側面に惹かれて新しく入ってくる人たちは、すぐ近くに様々な境遇の人々、様々なルーツを持った人々が暮らしていることに気づいているんでしょうか?

磯部 かつては"朝鮮部落"(ここで言う"部落"はいわゆる被差別部落ではなく、"集落"の意味)と呼ばれる在日コリアンの集住地域だった池上町も、最近は新築のアパートが建ち、区外から若い夫婦が引っ越してきています。また、川崎市中1生徒殺害事件の現場はタワーマンションの目の前です。

新住民たちの中にはそこがどういった歴史を持った土地なのか気にしていないひとも多い。例えば職場が東京にあって、家は寝に帰るだけだったら、地元は関係ないですからね。

――タワーマンションの世界と、男子生徒殺害事件が起きた世界とが同じ生活圏の中で地続きになっている……。

磯部 最初の方で挙げたラゾーナと日進町の関係もそうですが、開発によって進む問題の不可視化は、現代の貧困にも通じる話です。昔は困窮状態にあるひとは見た目で分かりましたが、今は言わば見えない貧困が増えている。

おおひん地区の子供たちの拠り所となっているコミュニティ・センター「ふれあい館」の職員の方が見た目は普通なんだけれども「ちょっと雰囲気がおかしいな」と思う子供についていったら、狭いワンルームに家族7~8人でぎゅうぎゅうに暮らしていたことがあったと言っていました。

かつては地域全体が貧困状態にあったのである種の一体感を持っていたのですが、徐々に問題が解決していくにつれて、貧困に取り残されたひとが孤立してしまうという新たな問題が浮上します。

川崎区の臨海部にしても、この本を読んで足を運んでみたら「全然、綺麗じゃないか」と思うかもしれませんが、その問題の見えなさこそが問題の複雑化を表しているとも言えるんですね。

写真=細倉真弓

――ふれあい館の話が出ましたが、川崎では社会問題に取り組む活動は活発なのでしょうか?

磯部 そうですね。最初の方で言ったように、問題があるからこそ、それを解決するための運動も起こってきました。

ふれあい館の母体である青丘社は、先程も名前を挙げた、桜本にある川崎教会の初代牧師だった在日コリアン1世の李仁夏(イ・インハ)さんが立ち上げた組織です。

彼は自分の子どもを保育園に入れようとした際、「そっちの人は取らない」と差別を受けたことをきっかけに、私設保育園を立ち上げました。

ただ、朝鮮ルーツの子供だけを受け入れたわけではなく、地元の共働き家庭、全てに門徒を開いた。その多文化共生思想は、桜本のみならず川崎の市政にも影響を与えています。

――何人かキーパーソンがいて、文化を作ってきたんですね。

磯部 はい。脳性麻痺者による運動団体である青い芝の会が、車椅子利用者の乗車を拒否したバス会社を相手に起こした有名なバス闘争も同地が舞台でした。川崎を日本の市民運動を象徴する場所として捉えることも出来る。

住民は長い公害訴訟を闘ってきて、状況は改善していますが、BAD HOPのメンバーたちは産業道路という空気が悪いことで有名な道路沿いで育ったので、今でも肌荒れが酷かったり、喘息を患っていたり、影響が残っていると言います。

そして、貧困家庭に育ち、不良のしがらみに捕われてきたBAD HOPは、その経験を歌うことで、地元のみならず、日本全国の少年少女に希望を与えています。

彼らを始めとした川崎区の人々を通して日本が抱える問題や、それを解決するための糸口について考えられるのではないでしょうか。