# 文書書き換え # 森友学園

日本人が「公文書改ざんの重大性」にピンと来ないのはなぜか?

そこに、この国の「闇」が潜んでいる
瀬畑 源 プロフィール

1年前に徹底調査していれば…

この改ざんに麻生財務相がどこまで関与したのかは、今後の調査を見ないとわからない。

ただ、昨年2月の段階で、佐川理財局長は、売買契約をめぐる近畿財務局と森友学園との間の交渉や面会に関する記録は、保存期間が1年未満なので廃棄済みであると国会で述べたため、野党から「隠蔽ではないか」と強い反発の声が上がった。

その時、麻生財務相は「適切に文書管理しており、直ちに保存期間を見直す必要はない」として、佐川局長の答弁は問題ないとして、理財局の対応を庇った。

森友学園と契約してから1年経過していないのに、交渉記録が一切捨てられているのは明らかに不自然であった。

この時に、麻生財務相が「徹底的に調査をさせ、データを復元してでも説明責任を果たします」として、省内を徹底調査していれば、このような改ざんが朝日新聞のリークまで隠蔽されることはなかっただろう。

今回改ざんされた文書は、昨年2月に公表されていれば、政治家などの口利きの問題はあったにせよ、民主主義を揺るがす問題にはならなかった。

政治家が情報公開を徹底し、国民への説明責任を果たすようにしていれば、ここまでの騒動にはならなかったのではないか。

 

ますます残らなくなる危険性

今回の問題は、もし麻生財務相が主張しているような理財局の官僚主導によるものであったとすれば、南スーダンPKO日報問題に構図が似ている。

官僚の公文書管理に対する意識の低さに主な原因があるが、その解決に所轄の大臣が消極的な態度をとって、事態を悪化させてきた。

安倍政権になってから、特定秘密保護法の制定をはじめとして、情報公開への消極性が非常に強く見られる。

加計問題などを受けて、昨年12月に、公文書管理法の運用規則にあたる「行政文書の管理に関するガイドライン」が改正された。

そこでは、「文書の作成に当たっては、文書の正確性を確保するため、その内容について原則として複数の職員による確認を経た上で、文書管理者が確認するものとする」といった文章が新たに挿入された。

ここでいう「文書管理者」は課長級の職員である。よって、課長級が「正確だ」と確認しない限り、文書は行政文書とならないということである。

また、外部との打合せ等の記録は、「可能な限り、当該打合せ等の相手方の発言部分等についても、相手方による確認等により、正確性の確保を期する」としており、議事録などは相手とのすりあわせを求められることになった。

これは一見もっともに見えるが、相手への確認をいちいち取らなければならないという煩雑な手続きが必要となるため、今後、会議の記録はお互いの対立点を省いた簡略なものになる可能性が高まるだろう。

公文書管理や情報公開に詳しい情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事長は、「どのような公文書を残すかについて、これまで以上に組織的にコントロールできるようになっている。政府の決定を批判されにくくするための仕組みがどんどんとつくられ、負のサイクルに入っていくのです」として、政府の対応を批判している(BUZZFEED NEWS、2018年3月14日、https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/moritomo-kakikae-4?utm_term=.whRlromVd#.vvaArkDqW)。

公文書の管理をきちんと行い、情報公開を徹底し、事実に基づいた議論が行われることが民主主義の原則である。

その基本的なルールが変えられ、土台が切り崩されようとしている。

今回の問題は財務省の一部の職員が行った特殊事例と考えるべきではない。

公文書の管理を恣意的に行おうとする動きがあり、与党の政治家たちはそれを正すことに消極的である。その一つの表れとして、今回の事例が噴出したと捉えるべきである。

政治家や官僚の意識を大きく変えていかないと、同じことは繰り返し起きうるだろう。

「朝日新聞」3月15日朝刊の緊急報告において、今回の改ざん前の文書を見たある省の幹部は、「私なら『こんなものを文書に残すな』と言って、前もって消させる」と証言している。今回の「負の教訓」として、今後、政策決定過程がさらに公文書に残らなくなる危険性がある。

公文書を公開し、それに基づいて議論をされる。それが当たり前になる社会に、より近づこうとする努力が不可欠である。

国民の側も法の理念を理解し、この問題が民主主義の根幹に関わる問題であると考えていく姿勢を持たねばならない。