# 森友学園 # 文書書き換え

日本人が「公文書改ざんの重大性」にピンと来ないのはなぜか?

そこに、この国の「闇」が潜んでいる
瀬畑 源 プロフィール

公文書管理法も「改ざん」は想定外

その状況が大きく変わったのは、情報公開法が2001年に施行された時である。それまで各行政機関が自由に行ってきた公文書管理に、最低限のルールができた。

情報公開請求の対象となる「公文書」(行政文書)を目録化して、公開しなければならなくなったのである。

しかし、公文書は自分たちのものであるという意識が抜けきらない官僚たちの中には、情報公開請求に過敏となり、文書を作らない、文書をすぐに捨てる、文書を作っても公文書として扱わない、といった方法で、情報公開請求を妨げる者も現れるようになった。

情報公開請求は、あくまでも「存在する」文書に対するものであり、「存在しない」文書は公開せずに済むのである。

 

その後、「消えた年金」問題などが発覚し、公文書が杜撰に扱われてきた実態が次々と明らかになっていった。

その時に、公文書管理制度に関心のあった自民党の福田康夫首相が公文書管理法の制定を推進し、福田氏の後を引き継いだ麻生太郎首相の下で、与野党の修正を経て、全会一致で可決されたのである。

この法律は、文書の作成から管理の方法、保存期間が満了した際に廃棄するか永久保存するかを判断するといった、いわゆる「文書のライフサイクル」を統括している。

公文書管理法によって、おざなりになっていた文書管理が改善されることが期待された。

しかし、その後も公文書に関する不祥事は続いている。官僚にこの法律の主旨があまり徹底されていないということが、原因の一つとして考えられるだろう。

ただし、公文書管理法によって、公文書を作成していない、捨てているなどの行為に対して、それを法律違反ではないかという批判の仕方が可能となったことは大きかった。

昨年森友問題が最初に浮上したときに、佐川宣寿理財局長は、文書はすでに廃棄済であると主張した。これに対し、野党は公文書管理法に違反するのではないかと激しい批判を加え、問題が長期化したのである。

今回の財務省の文書改ざん問題は、公文書管理法の精神に著しく違反をしている。

公文書管理法の第1条には、公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものである」とし、「国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにする」ために、適正な管理などが行われなければならないとしている。

公文書はあくまでも「国民のもの」であり、公文書は「現在」だけではなく「将来」の国民への説明責任を果たす必要がある。また、「民主主義の根幹」を支えるものなのだ。

今回の改ざんは、この公文書管理法の精神を踏みにじるものであり、民主主義の基盤を掘り崩すものに外ならない。

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ただ、公文書管理法は「性善説」に立っているため、この法律固有の罰則規定が存在しない。そもそも改ざんされることを、公文書管理法は想定していない。

そのため、今回の改ざんを法的に裁く場合は、刑法の公文書の変造罪などに該当するかどうかになる。

法的な罪にどこまで問えるのかは、識者によってずいぶんと解釈が異なるようであり、刑法学に通じていない筆者には、これ以上論じることは難しい。

ただ、公文書管理法に罰則があったならば、確実に該当していただろう。