森友文書改ざん問題、財務省を暴走させた「圧力」の正体

「忖度か指示か」の二択は奇妙だ
山下 祐介 プロフィール

加計問題をめぐって、当時の文部事務次官であった前川喜平氏はこういったことを思い出す。

「行政が歪められた」

政治が強大化し、そのことで行政が歪曲化されているのであれば、それを正すことが必要だ。

財務省はまがりなりにも文書の書き換えを認め、その内容を白日の下に曝した。悲痛なものであったと推察する。

野党はここで「何をやってるんだ」ではなく、「よくやった。もっと正直に色々出してくれ。君たちのことは守るから」と、そういわねばならなかったのではないか。

いまの政治に求められていること

今後の再発防止という面から見て、この事件を「忖度」の結果と見るか、過剰な「圧」による装置の暴走と見るかで、その処方はまるっきりかわってくる。

筆者はここが恐いのだ。

すべてを「忖度」と理解することで、二度とこういう書き換えが行われないよう、行政の政治による管理を徹底化し、忖度など決して働かないような制度へと改良していく――そんな官僚をさらに縛り付ける方向へと動きだすのではないかと。

だが、そういう形で決着すれば、実際に起きることは、「おかしなことが起きてももう告発はしない」「記録はできるだけ細かく残さない」「何が起きてもだまっていればよいのだ」――そういう官僚の硬直化だろう。

そして今後は、忖度が働いたり、圧力に屈したりしても、もはや二度と公文書の形でその形跡をたどることはできなくなるだろう。

財務省は引き続き、麻生大臣の下で調査を進め、再発防止策を出すのだという。

だが、現状の政=行体制に問題の根幹はあるのだ。その体制を解かずにその内部で出す防止策は、間違いなく官僚への「圧」をさらに強め、問題をますますこじらせていくものになるだろう。

おそらく安倍首相や麻生大臣の直接の指示などは出てこない。だから問題はないのかと言えばそんなことではない。指示がないのにこんなことが起きたということの方が恐ろしいのである。

だとすれば、ここで起きていることのカラクリをしっかり暴くことが大切だ。そうした解明にふさわしい調査体制を緊急に設計すること、それがいまの政治に求められていることである。

 

今回の騒動の中で、筆者が唯一腑に落ちたのが、小泉進次郎氏のコメントである。

「自民党は官僚だけに責任を押し付けることがない姿を、ちゃんと見せないといけない」

指示がないのに暴走した官僚機構。だが暴走を引き起こしたのは官僚側ではない。

官僚は、暴走だろうがあるまいが、どちらにしても自分で自分のスイッチは押せない。スイッチが押せるのは政治の側だ。

そして官僚の抵抗や誤作動という意味では、現在の自民党政権のみならず、旧民主党政権がそうであったのだ。

問題は共通する。

政治は互いに相争うのではなく、どうしたら適切に官僚機構を使いこなし、国民のために最適の解を導き出す流れを作ることができるのか、このことにもっと心を砕いていくべきだろう。

そしてこのことはまた、政治を見守る世論・マスメディアや、思想・識者の責務なのでもある。