森友文書改ざん問題、財務省を暴走させた「圧力」の正体

「忖度か指示か」の二択は奇妙だ
山下 祐介 プロフィール

忖度でなければ「指示」なのか

他方で、こうした説明に対する野党側の追求は、こうなっているようだ。

「官僚の忖度だけで、こんなことはおきないだろう。そこにはもっと上からの(政治家からの)指示があるはずだ」――忖度でなければ指示だ、というわけだ。

だがこの数日出て来たものを見ても、そこに例えば安倍首相からの指示のようなものは認められないようだ。

財務省による公文書書き換えが確認された3月12日の夕方、安倍首相自身がテレビカメラを真正面に見すえ、「なぜこんなことがおきたのか」と述べていたのは記憶に新しいが、実際に指示した人間にこうした態度はできない。

やはり、やったのは財務省の一部ということで決着せざるをえないのだろう。

が、政治家からの指示でなければ、官僚の忖度なのか。しかし自らの首をかける書き換えを「忖度」でやるとは到底思えない。あまりにも自らの犠牲が大きすぎるからだ。

 

3月11日の国税庁長官・佐川宣寿氏辞任にあたっての会見で、佐川氏は記者から「忖度はあったんですか?」と聞かれ、気色ばんでこう答えている。

「忖度って、すみません、どういう意味ですか!」

見ていた人は「あれっ」と感じたはずだ。筆者もずっとこのことが気になっている。

これは本当に「忖度」なのか。

忖度か、指示か。そうした二者択一から離れて現実を見つめ、分析する必要がありそうだ。

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霞ヶ関を暴走させる「圧」の存在

筆者はこう考える。

これは官僚側の忖度ではない。

目に見えない「圧」。その「圧」に官僚が屈した結果なのだ。

この「圧」は、表だった実際の政治家の行動によるものではないので、どうやってできているのかその具体的なカラクリはとらえようがない。

ある種の集団心理だ。だが、それが実際の現実として霞ヶ関を押さえ込んでいるので、その「圧」がある方向を指し示すと、予期せぬ行動を次々と官僚たちに引き起こす――そういうことが現実に起きているようだ。

「圧」は、山本七平の「空気」にも似ている。

が、互いを読みあうことから作られる「空気」とは違って、「圧」はもっと上から浴びせられる重苦しいものであり、だから「忖度」の語に含まれるような相手への配慮でもなく、もう、そうせざるをえないような、有無を言わさぬ強い力なのである。

しかもそこには実際に「力」を及ぼすものの正体がはっきりとは見えないので、力そのものがどこから来ているのかわからず、ただ「圧」としかとらえようのないもの――これが人々を思わぬ行動へと駆り立てたのではないか。