神戸製鋼ラガーマンが32歳で転職して社長に上り詰めるまで

大和ハウス・芳井敬一 社長の人生訓
週刊現代 プロフィール

人生に飛び級はない

自信をつけた芳井氏は勢いそのまま実績を叩き出すようになり、'05年には「夢だった」という神戸支店の建築営業所長に就任した。さらにその1年後には、社内の支店長公募制なるものに推薦されて姫路支店長に抜擢された。

ただ、支店長になると新しく会社の課題がたくさん目に入るようになった。これまでは前線で営業をしていればよかったが、それだけでは仕事にならない。自分はなにをすべきか――悩んだ芳井氏のヒントになったのが「ラグビー」だった。

「悩んだ末に出した結論は、『やっぱり会社って人やで』ということ。会社はいろいろな課題を抱えているけれど、僕が大和ハウス工業に入って年下の先輩たちに育ててもらったように、僕も後輩をとにかく教育してあげることで難局は突破できると思ったんです。

もともと、高校のラグビー部の先輩から『後輩に返しといてや』という言葉をよく言われていました。ご飯をごちそうになって『ありがとうございました』と言うと、先輩が『おう、後輩に返しといてや』って。

結局、会社でも僕がやれることはこれだと思ったんです。僕が大和ハウス工業の先輩たちに教えてもらったことを、後輩たちに返す。後輩の長所を見つけて、伸ばしてあげる。それをやっていくしかない、って」

 

支店長を4年ほどやって、「自分に向いているな」と思ってきた矢先、今度は中国でのマンションプロジェクトを担当するために中国駐在を命じられた。

奇しくも、神戸製鋼時代に一度はあきらめた海外赴任の夢がかなった形だったのが「嬉しかった」と芳井氏は言う。

芳井氏が取締役に抜擢されたのは'11年のこと。気づけば大和ハウス工業に転職してから21年、神戸製鋼で働いた年月の倍以上が過ぎていた。

'16年からは取締役専務執行役員営業本部長として現場の最前線を率いながら、海外事業管掌として諸外国も飛び回る日々を送るようになった。ラガーマンだったときの芳井氏は、自分のそんな姿など想像もしていなかっただろう。

「人生も会社も飛び級はないって思うんです。ひとつひとつの仕事を丁寧にこなすことで、先の大きな仕事が初めてやってくる。ラグビーも同じで、練習をしないと絶対に勝てない。神戸製鋼の優秀な選手たちも黙々と練習を続けていたんです。

あと、ラグビーが教えてくれたのは絶対にあきらめないということの大切さです。これまでの道のりは平坦ではありませんでしたが、途中であきらめたらいまの自分はなかったですから」

大和ハウス工業は芳井社長就任後初めての直近決算で、最高益を更新したばかり。「ラガーマン社長」の快進撃はまだまだ続きそうだ。

「週刊現代」2018年3月24日号より