神戸製鋼ラガーマンが32歳で転職して社長に上り詰めるまで

大和ハウス・芳井敬一 社長の人生訓
週刊現代 プロフィール

「やりたくない仕事をやろう」

そうして芳井氏は神戸製鋼のグループ会社で建設機械事業部などに所属して、まったくできなかった英語を憶えたり、貿易決済に使うL/C(信用状)を読めるようになるのを楽しむサラリーマン生活を送るようになった。

「そんなときに建機部門がアメリカ・ボルチモアに進出することになって、僕もメンバーに選ばれた。海外勤務に憧れていたので、すごく嬉しかったんですが」

冒頭の事故が起きたのは、まさにそんなタイミングだったのだ。

入院が長引いたことで海外赴任の夢は断念せざるを得なくなった。途方に暮れる中、入院先でかけられたある一言が芳井氏の人生を大きく変える「契機」となる。

芳井氏が振り返る。

「あるとき病院で知り合った入院仲間の一人から、『芳井ちゃんのところにお見舞いに来る人は、みんなネクタイを締めているなあ。俺たちのところにはそういう人は来ないけど』と言われて、ハッとしたんです。

入院仲間には荷台から落ちたトラック運転手の方、工場の旋盤で手を怪我した人など、現場で働いている人がたくさんいた。

そんな彼らがいつもよくしてくれて、『痛いだろう』って僕の足をさすってくれたりした。その優しさがすごく染みてね。

一方、僕は自分のことばかりを考えて、海外でスマートな生活を送るなど浮かれたことばかりを考えていた。

そんな自分がどんどん恥ずかしくなってきて、ベッドの上でもんもんとしていたら、もう生き方を改めるしかない。会社を辞めよう、という気持ちになってきたんです」

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会社も変えて、自分の人生もガラリと変えよう――。

そう心が固まった芳井氏は転職先を探すことにしたのだが、このときに意外な「試練」を自分に課したところがおもしろい。

「これからは絶対にやりたくない仕事をやろう、って決めたんですよ。人生を変えるにはまず浮かれた自分の考え方を変えなければいけないと思って、当時もっともやりたくなかった営業ができる会社に行くと決めた。それも、日本で一番営業がきつい会社にしようと思ったんです。

あともうひとつ思っていたのは、どうせやるならでかいことをやりたい。僕は神戸製鋼のグループ会社の社員だったので、やはりビッグプロジェクトにかかわるには本体の社員にならないといけないと感じていたんです。だから、上場企業に行きたかった」

 

そうと決めた芳井氏はさっそく行動に移した。神戸製鋼ラグビー部の同僚で、人事部に勤めていた人物に、「営業のきつい会社のリストはないか?」とたずねると、「離職率ランキング」というものを手渡された。そのワースト3に名前が載っていたのが、大和ハウス工業だった。

運命に導かれるように、芳井氏のいとこが公認会計士をやっていて、大和ハウス工業に出入りしていることがわかった。そのいとこに相談するととんとん拍子で話は進んでいき、大和ハウス工業の人事部長と面談をすることになった。