米朝会談に向けた不気味な沈黙が暗示する「北の内部抗争」

金正恩の「命がけの勝負」はどう転ぶか
李 英和 プロフィール

異例の混乱『朝鮮新報』記事削除

第3の理由は、意思決定の手順前後による内部混乱。筆者の見立てでは、この可能性が最も高い。

実は非核化と米朝首脳会談を巡る北朝鮮の沈黙は一貫したものではない。トランプ大統領が首脳会談を受諾した直後、北朝鮮系メディア『朝鮮新報』が3月10日付の紙面で初めて論評を加えた。「日程に浮上した朝米首脳会談、戦争の終結と平和談判の開始」と題する記事がそれだ。

筆者が注目するのは、掲載の翌日に突然、同記事が削除された点にある。削除理由の説明もなければ、訂正記事もない。異例の事件・事故だ。

『朝鮮新報』は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の機関誌である。朝鮮労働党機関紙『労働新聞』より格は落ちるが、北朝鮮政府の立場を代弁する大衆メディアのひとつだ。

同紙の編集権は、朝鮮総連ではなく、北朝鮮の工作機関「統一戦線部(第10課)」にある。問題の論評記事は統一戦線部の指示で書かれ、厳しい検閲を経て掲載されたものだ。

そして、この部門のトップ、金英哲統一戦線部長は平昌五輪で特使として訪韓、非核化の意思と米朝首脳会談の用意を伝えた人物だ。したがって、金正恩の意図を誤解したり、曲解したりするはずがない。

仮に何か不都合が有ったとしても、その後に加筆・修正して『労働新聞』が社説の形で正式に見解を出せば済む。

ところが、『朝鮮新報』の記事を削除した後も、現在(本稿執筆時点の3月16日)に至るまで『労働新聞』は非核化と米朝首脳会談について沈黙を決め込む。

記事の内容についても削除に値するほどの問題は見当たらない。核放棄については明言を避けながら「(米国の)侵略戦争騒動に永遠の終止符を打つ」「万全の準備で平和と統一のための最強の勝負に出た」といった無難な調子の論評だ。

繰り返しになるが、もしも核放棄が明記されていない点が問題なのなら、労働新聞や朝鮮中央通信などの上級メディアが書き加えれば済む。さもなければ、むしろ非核化の意思がないものと解釈されてしまう。

 

金王朝内部で何が起きているのか

いったい何が起きたのか。筆者の推測はこうだ。

金正恩と実妹の与正、そして軍師役の金英哲など、ごく少数の側近だけで米朝首脳会談と非核化交渉の方針を固めた。その他の党と軍部の重臣たちに十分に根回しするのを怠った。

韓国特使を通じてトランプの意中を確かめた上で、重臣たちに同意を取り付けるつもりでいた。ところが、トランプが即決即断したせいで、重臣たちへの根回しと合意が後手に回った――。

今回の金正恩の決断はあまりにも重大で危険なものである。その分だけ、権力中枢の内部で、手順前後という悪手が際立つことになる。

政治体制の仕組み上、最高指導者を責める声は出ないだろう。だが「俺は聞いてない」という重臣たちの不満が噴出する恐れがある。

それゆえ、今回、交渉に携わった実力者が「君側の奸」と指弾され、内紛の火種となる可能性が否定できないのである。