「自分がまさか当事者になるなんて、思ってもみなかった」
人妻がついこの前、体験した冒険を告白した。
拙著ではページ数の都合で泣く泣く割愛した45歳の人妻で、鈴木京香に似ているのでここでは“京香”と呼んでおこう。知り合ったきっかけは、人妻の生態をテーマにした週刊誌の座談会に招聘した奥さんの紹介だった。
日本海出身の京香は高校卒業後、都内の女子大に進学、大手金融会社に就職、バブル期で家賃が高騰し、仕事が終わると近所のスナックでアルバイトをはじめた。そこで出会った客と京香いわく「ファジーな愛人関係」になり、家賃分を出してもらった。
転落はある日突然やってきた。
株投資をしている40代の客から、知り合いが宝石を購入したいのだけどカードが使えないので名義だけ貸してくれないか、と頼まれ、手数料5万円をもらって軽い気持ちでクレジットカードを貸した。しばらくしてカードを借りた客の知り合いは姿をくらまし、残ったのは京香名義の借金300万円分だった。紹介した客もグルだったのかいつの間に姿を消していた。
自分の恥だと思って警察にも訴えず、弁護士にも相談せず、自分名義の借金をこつこつ返しつづけた。
30代前半で2つ年上のサラリーマンと結婚、借金のことは黙っていた。ファジーな愛人関係は複数いた。そうでなければ借金返済できないからだった。
結婚してからは会計事務所のアルバイトと、渋谷の交際クラブに入会して愛人から1回3万円の小遣いをもらって、夫には内緒で借金返済にあてた。
つい最近やっと300万円分の借金を完済した。
交際クラブはやめず、今度は自分自身へのご褒美として愛人と交際中である。
その一方で夫とはいまだに新橋の「魚金」に通う夫婦仲であり、子どもは中学生になって手がかからない。いまが一番自由を謳歌しているときだった。
「不思議な依頼があったの。聞いてください」
京香が私に相談をもちかけてきた。
「交際クラブから、70代の男性と会ってほしい、という依頼が入ったの。男女の関係にならなくていいから、ちょっとしたお芝居を演じてほしいって。工作員はもうひとりいるから、その工作員の女友だちということで男性と会ってほしいっていうの。わかるかしら?」
「よくわからない」
「依頼者はその70代のおじいさんと同居している女性で、5年近く一緒にいるんですって。束縛が強くてなかなか別れられない。おじいさんのほうに突っ込まれるようなウイークポイントがあったら、それを理由に別れられるから。おじいさんはいま、その女性工作員に夢中になっているの。ダンス教室で知り合ったんですって」
「おじいさんと別れるんなら、同居してる女性は何にも言わず姿を消してしまえばいいんじゃない?」
「それだと慰謝料をとれないでしょ」
男も女も、タフでないと生きていけない。
ダンス教室で出会った女性、というのは校長と接触するために交際クラブから派遣された工作員だった。
最近では興信所がはじめた別れさせ屋だけではなく、交際クラブもこんな事業をやり出しているのだ。
私は京香が新橋駅前のSL広場で70代のおじいさんと待ち合わせる日時を教えてもらって、密かに尾行しようとした。
「だめー。それだけは。本橋さんに見られたら緊張する」
何度か口説いてみたのだったが、色よい返事はもらえない。
「70代の男性とその女性工作員はつきあいだしたばかりで、女性工作員の人柄を印象よくさせるために第三者が必要という話なの」
「ああ。自分が自分のことを誉めても効果はないけど、第三者から誉められると絶大な効果をもたらすということね」
「そう! わたしは“サチ”、おじいさんとつきあってる女性工作員は“ミユキ”という偽名」
「別れさせ屋」という新手のビジネスがあると噂では聞いていたが、まさか自分の知る奥さんが別れさせ屋の工作員としてスカウトされるとは。