(著者撮影)

最後の無頼派投手・盛田幸妃「病魔との闘い」を支えた妻との物語

脳腫瘍から復活した奇跡のリリーバー
横浜ベスターズ(1992年までは横浜大洋ホエールズ)で大魔神・佐々木主浩とのダブルストッパーの一翼として活躍。近鉄へ移籍後、脳腫瘍を発症し摘出手術を受けるも、奇跡のカムバック。酒をこよなく愛し、自由奔放に生きたこの伝説の投手の晩年、何度も酒席を共にしたスポーツライターが、ある悔恨とともに最後の無頼派投手への熱い思いを語る。

「どうせ50までは生きられないから」

「なぜもっと真摯に彼の言葉を聞かなかったのか……」
球春――ペナントレースが開幕するこの季節になると、悔恨とともに彼のことを思い出す。
その男の名は、盛田幸妃。1999年に脳腫瘍の摘出手術を受けながらカムバックして「奇跡のリリーバー」と呼ばれた名投手。その盛田が2015年10月16日午前8時、自宅で家族に看取られ、天に召された。享年45歳
あれから3回目のシーズン開幕を迎える。

盛田と初めて会ったのは、2012年6月。単行本『マウンドに散った天才投手』の取材がきっかけだった。

「野球選手だから肩、肘を痛めるのはしょうがない。俺は頭だからしょうがないではすまない。病気だもんね。なんで俺、脳腫瘍になるの? だよ。故障した人たちも悔いが残るだろうけど、俺はもっと悔いが残っている」

2001年、32歳で引退。病気がなければ、心技体ともに円熟期に入る年齢であり、リーダーとしてチームを引っ張っている立場にいるはずだった……。盛田は1998年に脳腫瘍の手術を受けて以来、計4回も手術を重ねている。

「転移している時点で良性ではない。悪さもしない悪性、つまり程度のいい悪性。死ねないから困る」

彼の口から「死」という言葉を聞くとドキッとする。冗談とわかっているけど、なぜか冗談には聞こえなかった……。

 

単行本が刊行された直後の2013年2月、沖縄キャンプで解説者として取材に来ていた盛田と再会した。

「なんだよ、(伊藤)智への思いばかりじゃねえかよ。俺じゃなかったの?」

いきなり本への不満をぶつけられる。伊藤智仁(元ヤクルト)、近藤真市(元中日)、そして盛田ら、マウンドで強烈に輝きながら故障や病気で野球を諦めざるをえなかった7人の男に取材した本だった。冒頭にページをさいたのは伊藤の章だった。
少し不満顔の盛田であったが、取材後、「まあ、お疲れさま」と乾杯し、二人してしこたま酒を飲んだ。

「お酒、そんなに飲んで大丈夫すか?」
「大丈夫大丈夫。薬みたいなものだから。それより、今度俺の本を書かない? どうせ50まで生きられないから死ぬまでの間のことを書けば売れると思うけどな
「もちろん書きたいですが、そんな縁起でもない言い方はやめましょうよ」

盛田の自虐ネタをあしらい、ビールジョッキを手にしてこの場を流した。

この日から、盛田の言葉がどこか脳裏にこびりついたまま毎日の雑務に追われ、いたずらに時が経っていった。忘却したわけではなかったが、あまりに早すぎた訃報に、己の怠惰が悔やまれてしかたなかった。

もう一度、話が聞きたかった。そして、それをまとめたかった……。