江戸時代のエリートを育成した「驚きの教育システム」

勇猛果敢な武士が育つわけだ
河合 敦 プロフィール

やっぱり教育改革が必要だった

カリキュラム編成についても、等級制同様、時代がくだると次第に複雑になっていった。漢学だけでなく、国学(日本の古典を学び、日本古来の精神を明らかにする学問)、蘭学(オランダなど西洋の学問)、医学、算術、天文学、兵学、音楽を導入する学校が急増。

これは、武士としての倫理確立や人格陶冶を目的としていた藩校に、知識や技術の授与といった目標が加わったことを示している。

さらに幕末になると、領民に入学を許可する藩校が増加する。これは、庶民を藩の農兵などに育成していくために、基礎的な学問を身につけさせる必要が生じたからだといわれる。

 

多くの藩校は、明治維新後も小学校や中学校に転用され、近代教育が浸透する明治初期まで旧藩領内の教化に大きな力をおよぼしていたのである。わずかな期間に西欧の近代教育が全国に広がっていったのは、江戸時代に藩校というものがきちんと確立していたということも非常に大きいだろう。

代表的な藩校としては、時習館(熊本藩)、造士館(薩摩藩)、明倫館(長州藩)、明倫堂(尾張藩)、弘道館(水戸藩)、致道館(庄内藩)、明徳館(秋田藩)、興譲館(米沢藩)、日新館(会津藩)などがある。建物が残っている藩校もあるので、ぜひ一度、訪ねてみるとよいだろう。

最後に、藩校が急増した寛政期と天保期は幕政改革がおこなわれたことでも有名だが、じつはこの時期、各藩でも藩政改革が盛んに実施された。

つまり、改革を推進できる逸材を育てるために、藩校が創設されたという一面があるのだ。どれだけ有能な人材を育成できるかに藩の将来がかかっていることを、武士たちも明確に認識していたのである。

そういった意味では、私たちも武士にならって、政府に対して教育改革に本腰を入れさせ、日本のみならず世界を牽引できるリーダーをつくりあげる気概を持つべきだろう。

また、現代は文科省が教育全体を担っているが、あまり中央が教育内容まで強く統制しすぎないほうがよいのではないかと思う。現在は文科省の学習指導要領で学ぶ教科や内容を細かく決めている。

たとえば地理歴史科では世界史が必修で、日本史は選択科目となってしまっており、高校生の半数近くが日本の通史を学ぶことなく卒業している。

これに疑問を持った自治体が日本史を必修にするなど反発したことがあったが、できれば教育の主導権は都道府県に与え、江戸時代のように各県が独自の教育課程をつくり、江戸時代のようなユニークな県民を育成するというのも、1つの手だと思うし、地方分権が叫ばれる昨今、教育の地方分権化も考えてみるのもいいだろう。