究極の偏差値エリート集団・東大教授の「凄まじい階級社会」

その出身校を徹底調査してみた
週刊現代 プロフィール

中学から「選抜」が始まる

出身高校によって研究者たちの生き方や研究の仕方に特色や特徴があれば、なおさらのことだ。元教授が続ける。

「筑駒の出身者は、官僚主義的で上からの通達を守り、その指示に従って動く。結束も固い。バランス感覚のある偏差値エリートで、企業との関係づくりもうまい。

糖尿病部門のトップを務める門脇孝教授は筑駒出身。武田薬品工業と密接な関係を持ち、多大な研究費を獲得しながら糖尿病薬の論文を書いていました。

灘高校や開成高校出身者は筑駒ほど群れないけれど、緩いつながりや派閥を持っている。別の出身高校の部下を遠ざけることは自然です」

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東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教室の渋谷健司教授(東京学芸大学附属高校出身)も言う。

「現在のところ、東大では教授の評価機軸が明確になっていません。そのため、医学部での評価に際して、どの教室のどの派閥にいたかが一定程度影響を持ってしまうという面が強く残っている。

東大医学部の内部だけにとどまっていると、その内部の論理に取り込まれ、視野が狭くなっていく。医学部はもう少し外に開かれてもいいのではないかと思います」

続いて文系のトップエリートが集結する法学部はどうか。70人いる教授のうち、出身高校が判明した中では筑駒が最多(5人)だった。その後に筑附(3人)、栄光学園高校(2人)、ラ・サール高校(2人)が続く。

さらに、神奈川県立湘南高校、東京学芸大学附属高校、灘高校、開成、麻布など、やはり灘以外は首都圏の高校ばかりが名前を連ねる。

なぜこうなるのか。法学部には、医学部とは違った「学士助手」という東大法学部独特の制度の影響がある('04年までの制度)。文系学部の現役教授が解説する。

「東大では3年生から専門教育が始まりますが、優秀な学生はその頃から教授や准教授などに目をかけられ、それとなく大学に残るよう告げられます。彼らは卒業後すぐに『助手』として研究室に入り、3年間で助手論文を書くのです。

年に多くて10人程度、少ないと3~4人です。法学部は1学年400人強ですから、トップ1~2%の超エリートと言えます。彼らを『学士助手』と呼ぶ。博士課程をすっ飛ばして助手になるわけですから、いわば飛び級。

かつては、そのまま東大に留まって、一度も外に出ずに教授になるというケースもありました。最近の有名人だと、憲法学者の木村草太・首都大教授や、元マッキンゼーの瀧本哲史さんが学士助手です。

大学入学以前から、相当、教育環境に恵まれていなければ、学部3~4年生で頭角を現すというのは難しい。そうした人は、筑駒や開成、麻布といった超名門に通う人に限られる。

たとえば政府の委員などを多数務める憲法学の宍戸常寿さんは、筑駒→学士助手→東大教授です。中学、高校の時から『選抜』が始まっているようなもの」

 

さらに法学部の教授の履歴を見ていて驚くのは、「東大法学部卒」の割合の多さだ。70人の教授のうち、東大法学部卒ではない教授は、わずか9人に過ぎない。

そんなこと普通ではないかと思われるかもしれないが、決してそうではない。アメリカでは、大学内の多様性を確保するためにわざわざ出身大学の教授に就くのに高いハードルを設けている。そうしなければ、大学が閉鎖的な世界になってしまうからだ。

自校出身者を教員として採用することは「インブリーディング(近親交配)」と言われ、揶揄される。

京都大学経済学部を卒業後、民間企業などを経て東大に就職した、東洋文化研究所の安冨歩教授は、東大の「純血主義」的な側面について、違和感を口にする。

「法学部や経済学部、文学部といった伝統ある学部の教授は大半が東大出身者で占められています。今も『東大に合格したこと』に高い価値を置く文化が支配しており、受験生の時に成績が日本一だった先生が、未だにそのことで畏怖されていたりする。

私が東大に就職できたのは、駒場の教養学部の三谷博先生に声を掛けられて公募に応じたからですが、歴史と伝統を重んじる本郷の学部では、こんな間違いは起きなかったでしょう。

東大は国内最高の権威を誇りますが、東大教授はその権威を守るため、自分を押し殺すのも厭わず、他人にもそれを押し付ける。そんな文化が蔓延しています。しかし、純血主義のせいで誰もその異常さに気づかない」