大阪の交通事情は「京阪中之島線延伸」で大きく変わるかもしれない

そこには京阪の執念があった
佐藤 信之 プロフィール

中之島再開発と中之島高速鉄道の設立

中之島には西端近くの5丁目に大阪貿易センタービルがあったが、平成12年に日本で開かれるG8サミットの会場として再開発され、平成11年の年末に大阪府立国際会議場(現在のグランキューブ大阪)として開業した。しかし、サミットは、九州・沖縄サミットとして沖縄県名護市での開催に決定して、大阪は外れた。しかし、開業翌年にはWTO総会が開催されるなど、多くの国際会議を招致することに成功して、施設の稼働率は高いという。

また、3丁目では、朝日新聞社と朝日ビルディングが「大阪・中之島プロジェクト」と題して2棟の高層ビルを建設して、平成24年に地下3階、地上39階の劇場、ホテル、商業施設、オフィスが入居する「中之島センタービル」を開業した。

さらに、中之島4丁目にあった大阪大学付属病院が、平成5年に吹田市山田丘に移転して、跡地を再生医療や芸術分野の教育、産学連携などをする施設として再開発する計画であった。しかし、その後進展する事はなく、土地を大阪市に売却していた。その大阪市も財政難により長く空き地のまま放置していたが、平成27年になって大学の誘致を条件に90億円で売却を目指して入札を行った。結局応募者なしで、現在も空き地となっている。

 

平成13年7月に建設主体として京阪(出資金100億円)が単独出資により「中之島高速鉄道」を設立し、9月にこれに大阪府と大阪市が出資して第三セクターとなった。大阪府と大阪市はあわせて50%の出資比率(出資金は大阪市が100億円、大阪府が50億円)である。11月には、鉄道事業法に基づき、中之島高速鉄道がインフラ部を建設・保有する第三種鉄道事業者、京阪が運行を担当する第二種鉄道事業者の許可を得た。

ところで、京阪は、大正時代にも上下分離で新線を開業させている。大正4年に五条から三条までの新線を開業させたが、この区間を建設したのは京都市であった。もともと塩公路(国鉄の高架の下を過ぎて琵琶湖疎水の堤防上に移るところ)~五条間は疏水の東側を通る計画であったが用地買収が進まず、やむなく塩公路までの暫定開業と覚悟を決めていたところ、京都府知事から疎水堤防上への線路の敷設のアドバイスを得て、幸い五条までの開業ができた。

さらにこれを三条に伸ばしたいと考えていたが、ここで京都市が自ら五条~三条間の疎水堤防上に線路を敷設して、これに京阪の電車を乗り入れることを提案した。大正2年5月に京都市に対して五条~三条間の軌道敷設の特許状が交付され、京阪は京都市と乗り入れ協定を結んで、大正4年10月に運行を開始した。

つまり、京都市が建設して、京阪が運行するまさに「上下分離」で建設されたのである。京阪は、工事費15万円を負担した上に、線路使用の対価として47万円を報奨金として一括して支払って線路を使用することになる。明治30年代頃は、庶民感覚では万を億に変えれば現在価値になる。大正始め頃はその半分くらいの価値である。ので、15万円の現在の価値は7億5千万円、47万円は23億5千万円ということになる。

中之島線の建設

中之島線の総事業費は1,503億円で、直接工事費が1,416億円。直接工事費から出資金301億円を差し引いた金額の35%ずつを国と地方自治体が補助金を支給するスキームである。残りが民間からの借り入れを充当し、開業後京阪が支払う線路使用料により返済することになる。

平成20年10月19日に天満橋~中之島間を開業して、京阪本線と直通運転を開始。最終的に工事費は200億円あまり少なくなることが判明し、最終的に約1,300億円となった。開業後、京阪が第三セクター「中之島高速鉄道」に支払う線路使用料は、開業翌年の平成21年度が24億円、最新のデータでは、平成26年度が21億8000万円である。