# 伝統芸能

なぜ林家正蔵は、三遊亭好の助の林家九蔵襲名に待ったをかけたのか

落語界の生態からわかる事件の真相
堀井 憲一郎 プロフィール

落語家の名前は個人のものではない

余計なことながら、「林家正蔵」という名前も一筋縄ではいかない。

この名前が「林家」の総本家である。

しかし「三遊亭」と違って、いまの正蔵の師匠、その師匠と遡っていっても初代の正蔵にはたどりつかない。途中で直系の弟子が切れる。違う筋の人がこの名跡を継いでいるので、ある意味、断絶しているのだ。

なんども「仲裁のための大名跡」として使われている。

初代の林「屋」正蔵以来5代までは直系であったが、6代はその系列と関係なく、7代も関係がなく、8代も関係ない。しかも6代、7代、8代もそれぞれ師弟関係ではない。いまの9代「こぶ平の正蔵」は7代の孫であり(弟子の弟子である)、そこだけつながっている。

〝こぶ平の祖父〟が7代正蔵を継いだのは、彼の師匠が協会を脱退したため、師匠にもらった名前を返せと言われ、そのとき空いていた「林家正蔵」を調停のためにもらったのである。

8代正蔵も調停の襲名だった。

彼は弟弟子と「五代小さん」の襲名争いをして破れ、小さんの代わりに、空き名跡だった林家正蔵をもらった。

先代正蔵の息子が落語家になっていたので、一代限りという約束で襲名した。

しかしその息子がトンガリより30歳年下だったのに先に死んだので、彼はその名前を返上した。

そういう経緯である。

そのトンガリの正蔵の弟子だったのが三遊亭好楽である。「林家九蔵」だった。そしてその名前を自分の弟子に名乗らせようとした。

好楽がその名を使いたがったのは、「かつて自分の名前だった」というのが根拠なのだろう。

現代人には、そこは変におもわないのだろうが、私は、なんでそんな発想をするのだろう、とちょっと驚く。

落語家の名前は個人のものではない。

公的なものである。

 

「時そば」とか「寿限無」とか「芝浜」という落語が個人の所有ではなく、落語家みんなのものであるのと同じように、それぞれの芸名もまた、みんなのもの(公的なもの)なのだ。

個人が自分で名前を決めることはない。

「その一門の過去の芸名」のなかから師匠が選んでつける、というのが基本スタイルである。適当な名前がなく、師匠が新たな名前を考えてつけることもよくある。

本人が考えることもあるが、それも師匠に認めてもらわないと許されず、つまり師匠がつけたという形にしないといけない。

名前は必ず親(師匠)につけてもらう。それが業界の基本である(ちなみに「時そば」「寿限無」などのネタも、誰かに習い、その人の許可をもらって演じるのが基本である。それも「つけてもらう」という)。

先人たちが作ってくれた過去の財産で「落語」は存続している。落語が大事なのは「過去」である。ゆえに師匠の言うことは絶対である。

もう一度いう。

大事なのは「未来よりも過去」なのだ。

その感覚をふつうの人がリアルに持つことは、今の世の中ではできないし、やらないし、やったら人とうまくいかなくなる。

だから、わかりにくいのだ。

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