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「冷静に考えて、育児放棄を選んだ」というある女の言い分

育てられない母親たち【16】

ノンフィクション作家の石井光太さんが、「ワケあり」の母親たちを密着取材していく本連載。彼女たちが「我が子を育てられない」事情とは?

* 石井光太さん記事バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/kotaishi

 

子供を育てられない親たちの多くが、自分にその能力がないことから目をそらしている。これまで本連載で見てきた、そういう親たちは、大きく2種類に分けることができる。

1、 子供に対して虐待、育児放棄していることを自覚していない。
2、 自覚していても、共依存の関係になったり、自分のアイデンティティーがそこにあったりして関係の悪化を止められない。

これとは逆に、きちんと虐待していることを受け入れ、自分には育児能力がないと考え、その先の道筋まで考えようとする人がいる。

今回は、そういう女性について紹介したい。

「死んで、幸せな家庭を返せ!」と罵倒され

徳岡美桜(仮名)は、児童養護施設で育ってきた。

両親はごく普通に大学と短大を卒業し、お見合いで結婚をしたそうだ。最初はどこにでもいるごく普通の夫婦だったそうだ。

ところが、美桜が生まれて間もなく、ふとした拍子で夫婦の関係が崩れはじめる。

美桜が生後数ヵ月の時、父親が脳出血で倒れたのだ。彼は、その後遺症によって歩行ができなくなったばかりか、言語障害まで生じた。会社も辞めた。

母親は家を支えるため、以前勤めていた会社にパートとして復帰した。だが、父親は障害のせいで家庭のことができない。母親は帰宅した後も、家事や夫の介抱に奔走しなければならなかった。

月日を経るにつれ、家族の関係は次第に悪化していった。父親が体の自由を失ったことで自暴自棄になり、アルコールに走って妻や娘に絡むようになったのだ。酒の量はかなり多く、家計を切迫するまでになった。こうした生活が祟ったのだろう、美桜が小学校に上がった年に、父親は病死した。

母親が精神を病んだのは、この頃からだった。仕事や夫との関係のせいで張り詰めていた気持ちが切れたのかもしれない。不眠や体調不良が重なり、パートを辞めて生活保護を受給し、家に引きこもるようになった。

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家の中で、母親は鬱憤を美桜にぶつけるようになった。かつて父親がしたように、わけもなく罵詈雑言を浴びせたのである。

「おまえが、家庭を壊したんだ!」

「あんたは悪魔の子だ!」

「死んで、幸せな家庭を返せ!」

幼い美桜は、母からの罵倒を聞き流すことができなかったのだろう、精神的なストレスから過呼吸で倒れたり、爪をはいだりするようになった。小学校も不登校がちになった。

美桜の変化に気づいたのは、近所に暮らす祖父母だった。市に相談したところ、母親を病院に入院させ、その間、美桜を施設で保護することにした。

当初、施設での暮らしは1ヵ月ほどの予定だった。だが、半年経っても、1年経っても、美桜は家にもどることはできなかった。退院した後も、母親の様態が不安定で、引き取ることができなかったのである。

美桜の言葉である。

「小学校時代は、なんで私は家に帰れないんだろうって悩んでいました。私が家を台無しにしたことで、お母さんが怒って引き受けてくれないんじゃないかって自分を責めることもあった。施設の人からは、『すぐに帰れるよ』って言われていましたが、いつになってもお母さんは回復しなかった。施設に面会にも来てくれない。私の中で不安だけが膨らんでいきました」

そうした不安のせいで、美桜は施設で暮らしている間も、過呼吸を起こしたり、拒食症になったりした。そんな彼女の唯一の気晴らしは、お気に入りのアニメの絵を画用紙に描くことだった。施設には、月に一度か二度、絵の先生が来ていた。美桜はその先生が大好きで、毎日一生懸命に絵を描いては見せていたのだ。

先生はよく美桜のことをほめた。

「上手ね、すごいね」

美桜は母親にほめてもらった経験が一度もなかった。だからこそ、先生からそう言ってもらえることが何より嬉しかったのだ。

だが、高校生の頃、その先生が私的な事情から施設での絵のレッスンをやめてしまった。美桜は心の支えを失ったような気持ちになった。